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ATACK NET ブックレビュー
トレーニングやリハビリテーションなど、スポーツ医科学と関連した書評を掲載しています。

キンタのサッカーで遊ぼう 日本サッカーの夜明け
金田 喜稔

タイトルの奥に潜む熱き心
 筆者の「キンタ」こと金田喜稔氏は、サッカー通なら誰もが知っている名選手、元日本代表選手だ。現在、彼はTVのサッカー解説者としても活躍中だ。
 そんなキンタ君が日本サッカーを熱く、熱く語ったのがこの一冊。
「キンタのサッカーで遊ぼう」なんてタイトルに、皆さん騙されてはいけません。
 自身がサッカー界のトップにいた経験を十二分に生かして、日本サッカー界の現状や問題点、果ては日本のスポーツ界全体に至るまでの提言をこの一冊にコンパクトにまとめてある。サッカー関係者のみならず、スポーツ指導に携わる人たちには是非一読をお勧めしたい。

キンタの「教えすぎない」指導法
 キンタ君がもうひとつ熱っぽく語るのは、ジュニア育成法だ。彼自身、親善大使として海外でサッカースクールを開講したり、ボランティアとして日本の子どもたちに教えている経験をもとに、「キンタ」のジュニア指導論を展開している。
「教えすぎない」指導法もそのひとつ。よい指導者となるためには、どこまで教えるかを見極めることが必須条件。しかし、これがなかなか難しい。キンタ流「教えすぎない」指導法とは? このほかにも、彼のサッカー観に基づくジュニア育成観が多く語られていて、果ては地域スポーツクラブ設立まで話が及ぶ。これも興味深い。

W杯がやってくる
 さて、今年最大のスポーツイベントといったら、なんと言っても日韓W杯開催。今世紀初、アジア初、初の共催と初めてづくしの大会開催まで、あと少しだ。
 キンタ君はこの大会を、世界のサッカーファミリーの祭典と考えている。そして、彼はホストとして、どうやってファミリーを日本に迎えようか真剣に考えている。彼は、決勝が予定されている横浜国際競技場の近くに在住しているそうで、そんなことから、決勝当日はスタジアムに入れないみんなと、行きつけの店でTV観戦なんてことも考えている。もしかしたら、キンタ君の名解説つき決勝観戦なんてことも……。行きつけの店ってどこかって? それは、読んでのお楽しみ!
(久米 秀作)

出版元:朝日ソノラマ

(掲載日:2002-05-10)

タグ:サッカー ジュニア 
カテゴリ 指導
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人のためになる人ならない人
辻 秀一

「熱血」しないコーチになるために
 冒頭から私事で恐縮だが、私自身のスポーツとの出会いは40年以上前であり、現在もスポーツ界の片隅で禄を食んでいる。したがって、当然多くのコーチとの出会いがあった。その多くがいわゆるTVの青春ドラマに出てきそうな明朗、爽快、活発、颯爽、堂々といった日本語をそのまま体現した熱き、熱き、熱血型指導者であった。
 しかし、本書には、(選手の)ためになる(コーチ)とは熱血型コーチであるとは一言も書いてはいない。著者は、まずコーチとは本来“馬車”を意味し、お客(選手)が望むところに連れて行くのがコーチの仕事だと説く。なるほど。しかし、私が出会ったコーチは皆「俺について来い」式で、どこへ行くかさえ言ったことがない。
 まして、どこへ行きたいかなんて聞かれたこともない。こりゃ、えらい思い違いをしていたぞ、とばかり先に読み進めると、コーチのスペル「C」「O」「A」「C」「H」のそれぞれの頭文字を使って、コーチに必要な資質が述べられている。
 例えば、「C」はComprehension(理解、包容力)で、選手や子供を一人の人間として理解し、それぞれの共通点や相違点を受け入れるといった具合だ。こりゃ、本当にえらい思い違いをしていたぞ。

「檄」を飛ばさないコーチになるために
 私も含めて、コーチは概ね声が大きい。なぜなら、練習のときは選手の掛け声やボールの弾む音、シューズが床に擦れる音、選手の激しい息遣いに負けないために自然と腹に力が入り、声が大きくなる。それに、声が大きいほうが威圧感があって選手を掌握しやすいではないか、と考えるとなおさら声のトーンが上がり、こうなると単なる声ではなく「檄」に変わる。やっぱり、コーチは声がでかくなけりゃと思っていたら、本書には一言もそんなことは書かれていない。コーチの「H」はユーモアの「H」だと著者は言う。選手が苦手なことをさせられているときは、大幅なエネルギーの消耗を伴う。そんなとき、コーチが檄を飛ばしてもさらにエネルギーを消耗させるだけで、結果として選手は萎縮してしまうと言う。
 ここは、むしろユーモアが必要だと言う。米国には「Fun is Medicine」(ユーモアは良薬)という言葉もあるそうだ。元気のないときほど、檄飛ばして気合入れるんじゃないのか。こりゃ、えらい思い違いをしていたぞ。

「期待」しないコーチになるために
 コーチは、大方自分のチームや選手に期待をかける。なぜなら、期待通りの結果が出れば、自分への評価にもつながるし、応援してくれている地元にも顔向けができるからである。しかし、著者は「期待」は「怒り」の原点だと断罪する。なぜなら、「期待」することは、ある枠にはめた比較思考、つまり何かと比較して、それよりもよい結果を残すことを要求することだという。だから、「期待」が大きいと落胆も大きくなり、「お前たち、なにやっているんだ! たるんどるぞ!」てな怒りになるというわけだ。
 そう言われると、相手が自分のチームより格が下のときは、「期待しているぞ!」なんて言わないな。
 期待を顔に出さず、熱くならずに冷静に、ユーモアをもって選手やチームに接する。そんなコーチがこれからの日本のスポーツシーンを必ずや変えていくことだろう。
 もしもし、そこのコーチ。何か、えらい思い違いをしていませんか?
(久米 秀作)

出版元:バジリコ

(掲載日:2002-07-10)

タグ:コーチング 
カテゴリ 指導
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魂の箱
平山 譲

「やはりこんども、諦めない者たちが書きたかった」筆者平山譲は、「あとがき」にこう記している。

魂の箱(soul box)
 1991年6月14日、主人公畑中清司は名古屋市総合体育館特設リング上に立っていた。WBC世界ジュニアフェザー級の王者として、彼は挑戦者ダニエル・サラゴサの顔面を、幾度も右ストレートで強打していた。試合は一方的なチャンピオンペース。しかし、第5ラウンドに奇跡が起こる。それも、挑戦者に……。
 「あたるとは思わなかった」パンチが致命的となり試合の形勢は逆転する。そして、敗戦。彼にとって世界王者として闘った最初の試合が、皮肉にも生涯最後の試合となった。その翌年、彼は引退のテンカウントゴングを受けることになる。
 畑中は、荒れた。飲み、酔い、潰れた。リング上で闘う術を失った彼は、今度は虚無感、絶望感と闘わなくてはならなかった。しかし、彼は、その闘いにも敗れてしまう。

それから
 引退から2年が経っていた。食べていくためのカネさえ窮していた畑中は、ある人を訪ねるために横浜の地に足を踏み入れる。その人の名は、元世界フライ級王者花形進。畑中は、世界挑戦5度目でチャンピオンベルトを手に入れた苦労人花形の中に引退後のあらたな目標を見出せればと、彼の経営するボクシングジムを訪れたのだった。
「引退後、なにされました?」畑中は花形に開口一番そう訊いた。
「俺、引退してから焼いてたよ、焼き鳥」
「なあ畑中、世界チャンピオンになったからって店をもたせてくれるほど、世間はあまくねえよ、世界チャンピオンもな、第二の人生はまた、四回戦ボーイからだよ」
 その日以来、畑中は働き始める。しかし、それは単なる改心ではなく、新たな人生の目標を見出したからに他ならない。
「俺は闘うことでしか生きられん」
「だって、俺は、ボクシング屋やから」
「SOUL BOX HATANAKA BOXING GYM」はこうして生まれる。

教育者(トレーナー)
 その「魂の箱」の門を二人の青年が叩く。一人は、まったく自分自身の存在価値を見出せず、ただただ現在を彷徨する高校生。もう一人は、無軌道な青春を過ごした結果、取り返しのつかない過ちによって、無二の親友を失った不良少年。その二人に対して畑中が注ぎ込む熱情と彼らが迷ったときに畑中が見せる笑顔がいい。
「本書は、ある路地裏の小さな箱(ジム)から、自己の存在証明にのぞむ者たちの心のありさまを探求した記録である」と筆者は結ぶ。
 久しぶりに、魂の熱くなるのを感じさせる作品に出会った。近頃感動する心を失いかけている諸君、自らの魂に衰えを感じ、日常生活に倦んでいる諸君、読むべし!

四六判ハードカバー 272頁 1,700円+税
(久米 秀作)

出版元:実業之日本社

(掲載日:2002-06-10)

タグ:ノンフィクション ボクシング 
カテゴリ 人生
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決定版!! 100kmウルトラマラソン
夜久 弘

「知能」としてのランニング
 人は一体いつ頃から、自らの「本能」という呪縛から開放されて「知能」としての走りを満喫できるようになったのだろうか。――生きているものは、すべて動くと言っても過言ではない――生命科学における生体運動に対する知見である。その分野の専門書によれば、神経細胞などがまったく見られない原生動物でさえ、細胞中に運動支配中枢が存在し運動すると言う。
 しかし、決してむやみやたらと動き回っているのではない。自らの生存に不適合な環境を避け快適な環境下に移動するための、いわゆる適応的行動を起こしているのである。これを走性(taxis)と言う。
 この「走性」と似たものに「反射」がある。反射は遺伝的神経機構の産物という点で、生まれつきの行動と定義できる。つまり、本能の一種である。人間が立ち、歩き、走る、という一連の二足直立運動は、この反射機能によるところが大きいことは周知の事実である。
 つまり、人間の行動の本来的に意味するものは、外界からの刺激に対する単純適応行動反応と見ることができる。しかし、これだけでは人間の行動を説明するのには十分とは言えない。なぜなら、人間の行動を理解する場合、学習に基づく行動反応を無視できないからである。学習に基づく行動反応とは、知能のことである。つまり、「走る」という行為とは違い、「ランニング」という行為は、マズローの欲求段階説に従えば、生理的欲求や安全欲求を満足させるための行為ではなく、さらに高位の、自己実現を可能とさせるための行為と言える。人間独特の知能あってこそ可能な行為が、ランニングと言えるのだ。

ランナーの数だけあるランニング
 ところで、私事で恐縮だが、このランニングとは私自身何を隠そう20年来の友(?)なのです。この20年間、太ったと言っては走り、うまい酒が飲みたいと言っては走り、旅行先で走り、引っ越したと言っては走っている次第です。知らない町を走るのは、案外楽しいのだ。しかし、今回初めてこの本を手にしたときは、タイトルや目次などをざっと見て正直言って驚嘆してしまった。なにしろ、著者を筆頭に100km、200km、果ては4200kmも走った人も出てくるではないか。
 多くとも10km程度のジョギングしか経験したことのない私にとって、本書を精読するまでは、ここに出てくるランナーの皆さんは別世界に住む方のように思えた。ところが、読み進むに従って、これは間違いであることに気づく。みんな普通に生活している人々なのである。著者の文章の優れているところが大きいが、行間のあちこちから、本書に出てくる人々の走る姿が見え、走っている沿道の応援する人々の声が聞こえてくる。読んでいて、何かとても美しい小説に出会ったような錯覚を覚えた。
 それと、本書のもうひとつうれしいところは、出てくるランナー皆さんのそれぞれのトレーニング方法が紹介されていること。要は、みんな自分の好きなようにやっていて、それがこのランニングの一番大切なところだという筆者のメッセージがよくわかる。ランナーの数だけランニングの方法があるということなのだ。
 本書を読んでウルトラマラソンに目覚める方も多いのではないだろうか。そう書いている私もなにやらお尻がムズムズしてきました。
(久米 秀作)

出版元:ランナーズ

(掲載日:2002-10-10)

タグ:ウルトラマラソン 
カテゴリ 運動実践
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ミラクルトレーニング 7週間完璧プログラム
ランス アームストロング クリス カーマイケル 本庄 俊和

スポーツ・サイエンス開闢への期待
 2002年7月6日に始まった第89回ツール・ド・フランスは、21チーム総勢189名の選手がひしめき合う中、23日間のフランス一周の旅に出た。コース全長が3,277kmにわたるこのレースは、まさに人間が持ち得る叡智と体力のすべてを結集して挑戦する「世界でもっとも過酷なスポーツ・レース」といっても過言ではない。
 この「世界でもっとも過酷な」レースを今大会を含めて4年連続で制した男がいる。その男の名はランス・アームストロング。アメリカ・テキサス州生まれ、30歳。彼は幼い時からサイクリングに親しみ、そしてごく自然にロードレースに出るようになったという。
 さて、今回のもう一人の主役クリス・カーマイケルが、ランスと出会ったのは1990年ランス17歳のとき。当時、アメリカ自転車競技連盟の男子ロードナショナルチームコーチになったばかりのクリスは、ランスの走りを見て、彼が秘めている大変な潜在能力に気づくとともに、彼は走り方について何も知らないと感じたという。
 ところが、順風満帆に見えたランスの競技人生に大きな転機が訪れる。それは、ランスの身体が癌によって蝕まれ始めているという事実から始まる。彼は、睾丸癌と診断されたのだ。1996年7月のことであった。
 しかし、本書でこのことに触れられているのは、ほんのわずかだ。むしろ、本書のテーマはこんなところにあるのではないと言わんが如く、第一章から「自転車の基本」といきなり本質にフォーカスを絞って、機材のフィッティング、コンポーネント、メンテナンスと修理、ライディングポジション、ハンドリングなどの項目が並ぶ。玄人好みのハードな出だしだ。
 そして、本書の心臓部はなんと言っても第二章「カーマイケル・トレーニング・システム(CTS)」。まさにこれがタイトルにある「ミラクルトレーニング」の本性であるわけだが、このシステムの中核をなす心拍トレーニング法やターゲット心拍数、有酸素運動領域の上限ぎりぎりでトレーニングするための乳酸閾値(LT)の概念などは、日本ではまだあまり一般的ではない。
 このようなスポーツ・サイエンス領野の専門用語がごく普通のトレーニング用語として頻繁に文中に出てくるところに、スポーツパーフォーマンス(競技成績)とスポーツ科学の米国における親和性を羨ましく思うのは私だけであろうか。
 極めつけは、本書後半に出てくる「ペダリングの科学」。アメリカ・オリンピック・トレーニング・センターのスポーツ科学技術部門が行ったバイオメカニクス・サービス・プログラムによるテストを分析した結果、ランスたちアメリカナショナルチームのペダリング・ストロークが画期的に変わったという。まさかこの結果が、その後のランスの強さのすべてとは思わない。しかし、こういった記述をみて、わが国でも一日でも早く、一般のスポーツ書籍の中に競技成績とスポーツ科学の相関が当然の如く記述され、それをまた当然の如く読者も受け入れられるようになってもらいたいものだと感じた。これこそ、まさにわが国のスポーツ・サイエンスの開闢というものではないか。本書は、そんな期待を抱かせる一冊であると、私は思う。
(久米 秀作)

出版元:未知谷

(掲載日:2002-11-10)

タグ:自転車 
カテゴリ 運動実践
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史上最も成功したスポーツビジネス
種子田 穣 本庄 俊和

はっきり言って歴史の違い
 私の蔵書の中に「THE PICTORIAL HISTORY OF FOOTBALL」というのがある。要するに、アメリカンフットボールの歴史を写真で追ったものだ。そして、この本の最初に「CAMP」なるタイトルのついた章があって、そこには口ひげをはやし、左手を後ろに回して直立姿勢で立っている男の写真が大きく掲載されている。
その男こそが現在のフットボールの原型となるルールを確定したウォルター・キャンプその人である。その写真の説明には「ウォルター・キャンプは1878年にエール大学のキャプテンとなった。彼は革新的なアメリカンフットボールのルールを背景に、大いに活躍した」と記されている。
 1878年は、日本で言うと明治11年である。この年、日本では明治新政府の立役者であり、版籍奉還や廃藩置県を断行した参議兼内務卿の大久保利通が東京紀尾井町で刺殺されている。まだまだ国の存亡ままならぬ状況の中で、ましてスポーツなんぞという時代であった。
 1892年、米国ではアメリカンフットボールは人気スポーツとなり、初のプロプレーヤーが誕生したと本書に書かれている。日本では明治25年に当たる。この年日本には本格的テニスコートが東京・日比谷の英国公使館の中庭にでき、これをきっかけにテニスが盛んになったという。でも、フットボールではないのだ。
 日本で初めてアメリカンフットボールの試合が行われるのは、それから43年後の1935年(昭和10年)。東京・明治神宮外苑で横浜選抜と在日外人チームの試合が第一戦であった。そのころ、米国では現在のNFLは既に組織されていたし、1934年にはNBCラジオで全国向けに初めて放送が行われたという。そして、1935年には現在も行われているドラフト制度ウェーバー方式を導入したという。やはり、はっきり言って歴史が違うのだ。

スポーツと体育の違い
 本書は、新市場開拓の原則として次の2つを挙げている。
(1)ファンデベロップメント、即ち顧客の開拓、(2)メディア展開、即ち如何にしてメディアへの露出度を増やすか。
 両方とも納得だが、特に(1)の顧客の獲得には大変な時間を要するという。
つまり「特にプロスポーツの場合、人々がファンとなるスポーツは、自分が過去にプレーしたことのあるスポーツであることが多い」という。
これも納得。つまり、日本の場合、過去におけるスポーツ経験とはイコール学校体育でのスポーツ経験となるので、NFLジャパンでは現在日本でのNFLファン獲得作戦の一環としてフラッグフットボールという安全で誰もがフットボールゲームを楽しめるプログラムを全国小学校に展開中という。これも納得。
 因みに、何を隠そう私もこのフラッグフットボール経験者の一人で、年齢、男女混合チームでゲームをやる気分は格別です。 読者諸君、一度経験すべし。
 閑話休題。しかし、これらのNFL顧客獲得作戦には大事なものが抜けている。それは、スポーツはやるものと同時に観るものだとういう視点だ。残念ながら、今までの日本のスポーツ教育には、ここが決定的に欠けていた。つまり、教育・教材としてのスポーツ、体育だったのである。
 事実、全国の小・中学校のグラウンド、体育館に観覧席が用意されている学校が何校あるか? あるのはスポーツをやるためだけの施設ばかりだろう。私自身、もう10年以上前になるが、娘のミニバスケットボールの試合を体育館の外から、狭い出入り口に沢山群がる他の保護者に混じって立ちながら応援したのを覚えている。
観覧席があったら、もっと楽しめただろうに。
 NFL関係者の皆さん、そんなに史上最もビジネスを成功させた余力があり、あくなきビジネス精神の元、さらに日本、そしてアジアとビジネスチャンスを目論むなら、全国の小・中学校に観覧席を寄付して下さい。
 そうすれば、必ずや日本人はスポーツを観る楽しみを理解します。そして、アメリカのように、会場近くでバーベキューパーティーもやるようになります。なんせ、史上最もマネがうまい国民ですから。

(久米 秀作)

出版元:毎日新聞社

(掲載日:2002-12-10)

タグ:スポーツビジネス NFL アメリカンフットボール 
カテゴリ その他
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スポーツマンシップを考える
広瀬 一郎

ちょっとお耳を拝借
 さて、冒頭から恐縮ですが、ただいまより「すべてのスポーツ・コーチに捧げる、――コーチ必読!知ってるようで知らないスポーツ用語解説集――これを読めば貴方も明日から一流コーチの仲間入りだ!編」を始めたいと思います。(ずいぶん大袈裟なタイトルだなぁ……)

(1)「スポーツとは何か」
 遊びであり、競争です。

(2)「スポーツマンシップとは何か?」
 スポーツを通じて身につける人格的な総合力のことです。

(3)「フェアプレーという考え方はどうしてでてきたのか?」
 スポーツが単なる遊びから、勝利を求めるものに変化していったからです。

(4)「なぜスポーツマンシップを教えなければならないのか?」
 スポーツマンシップなしにはスポーツは成り立たないからです。

(5)「なぜ戦う相手を尊重するのか?」
 素晴らしい勝利を得るためには、素晴らしい対戦相手が必要だからです。

(6)「なぜ審判を尊重するのか?」
 審判がいなければゲームが成り立たないからです。

(7)「なぜゲームを尊重するのか?」
 スポーツの素晴らしさが、そこに集約されているからです。

(8)「ルールを守ればスポーツマンか?」
 必ずしもそうではない。伝統や慣習を尊重することも重要です。

(9)「勝負に徹するなら“スポーツマンシップ”はきれいごとか?」
 きれいごとではなく、それこそが本質です。

(10)「“スポーツマンシップ”を教えると強くなるか?」
 はい、その通りです。

 さぁ、いかがでしたか。あんなに長年指導しているのに、なぜうちのチームはちっとも強くならんのだと、やたらこの頃酒量が増えている古株コーチも、ともかくスポーツは若さと情熱で教えていますという、どちらが選手かわからない新米コーチも、ちょっとこの辺で「スポーツの本質」について、上の「用語解説集」を参考にして改めて考えて見ませんか。きっと、絡んだ糸がほどけるように、一味違うコーチングが見えてくるはずです。えっ、まだよくわからない? そういうコーチは、本書をお読みください。因みに、ここに掲げた用語とその解説は、本書の目次とそのサブタイトルそのままなのです。
 本書にはこの他に、元サッカー日本代表監督岡田武史氏と元ラグビー日本代表監督平尾誠二氏による対談「世界と戦うために」が収録されており、選手に望まれるメンタリティや判断力等について興味ある意見が交換されています。ただいまコーチ真っ只中の人にはたまらない内容ではないでしょうか。
 きっと、本書を読み終えた後の貴方の顔は、一流コーチの顔になっていますよ。
(久米 秀作)

出版元:ベースボール・マガジン社

(掲載日:2003-01-10)

タグ:スポーツマンシップ 
カテゴリ 指導
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武蔵とイチロー
高岡 英夫

天才の世界
 湯川秀樹という方を皆さんは覚えておられるだろうか。1949年に日本人初のノーベル賞受賞者となった物理学者である。その彼が、晩年になって出した本の中に『天才の世界』というのがある。これは、古今東西の歴史に残る偉業を成し遂げた人々、いわゆる天才と言われた人々の創造性の秘密を解明しようという意図の下に書かれた書物である。彼は、この本の「はじめに」の中で天才について次のように述べている。「(天才に)共通するのは、生涯のある時期に、やや異常な精神状態となったことであろうと思われる。それは外から見て異常かどうかということでなく、当人の集中的な努力が異常なまで強烈となり、それがある時期、持続されたという点が重要なのである」
 では、今回の主人公のひとり、武蔵は天才か。私が知っている武蔵は、小説家吉川英治氏が描いた武蔵のみであるが、これを読んだ限りでは、どちらかといって愚直なまでの努力家タイプに思える。むしろ、彼と巌流島で決闘した佐々木小次郎のほうが天才タイプではなかったか。しかし、前述した湯川氏の天才論で言えば、異常なまでに強烈に剣術を持続して磨いたという点では、間違いなく武蔵は天才だ。
 もうひとりの主人公イチローはどうか。これには誰もが天才と口を揃えるだろうが、ではなぜ? おそらく、皆イチローのセオリーを無視したようなバッティングフォームとその結果を見て、いわゆる天才肌的なものを覚えるからであろう。しかし、ここでも湯川論に従えば「外から見て異常かどうか」が天才の判断基準になるのではない。あくまでも異常なまでに強烈な集中力がイチローには見て取れるところに彼の天才たる所以があると、この筆者は見たようだ。

ユルユルとトロー
 筆者がこの二人に共通して着目したものに「脱力」がある。筆者は、まず武蔵については、彼の肖像画から類推して、彼の剣を構えたときの身体には無駄な力が入っていないと指摘する。刀はユルユルと握られ、全身は脱力されている。しかし、その脱力はフニャフニャしたものではなく、トローとした漆のような粘性を持った脱力だと言う。武蔵が残した有名な書物に『五輪書』があるが、この中で武蔵は「漆膠(しっこう)の身」ということを書いていると言う。そして、「漆膠とは相手に身を密着させて離れないこと」だとも書いていると言う。つまり、相手の動きに粘り強く着いていくには、トローとした脱力が必要だと言うわけである。これはイチローにも当てはまる。本来、バッティングとは投手が投げてくる球に対して自分のヒッティングポジションが合致すれば、クリーンに打ち抜けるものだ。従って、投手は打者の得意なヒッティングポジションに球が行かないように、球種を変えコースを変えてくるのである。しかし、イチローはトローと脱力した身体で、あらゆるコースの球に密着してくる。だから、イチローには特に待っているコースもなければ決まったヒッティングポジションも存在しないと言うわけである。

天才と凡人の違い
 私は、今回この本を読んでいて、どうも近年のスポーツ科学者は、私も含めて客観的事実というマジックに捕らわれすぎたようだ、という反省を覚えた。客観的事実の積み重ねの上に真実が現れるという科学的分析手法は、誰もが理解し納得いくという点では優れた手法であることは認める。しかし、簡単に言ってこの手法で明らかになるのは、大方が同じ結果になるから真実だという結論にすぎない。果たして、それは真実なのか。大方とは違う結論の中にも真実はないか。データでは見えてこない真実。ここを見て取れるか否かが天才と凡人の違いではないか。特に、指導者には耳を傾けていただきたい。「日本スポーツ天才学会」や「日本スポーツ異端児の会」などあってもよくないか。
 最後に、再び湯川氏の天才論をご紹介したい。「――、私たちは天才と呼ばれる人たちを他の人たちから隔絶した存在と思っていない。(中略)ほとんどの人が、もともと何かの形で創造性を発現できる(つまり天才的)可能性を秘めていると考える」
(久米 秀作)

出版元:小学館

(掲載日:2003-03-10)

タグ:身体 宮本武蔵 イチロー 
カテゴリ 身体
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スポーツ解体新書
玉木 正之

スポーツを“解体”する
 私は“解体新書”というとまず日本最初の西洋解剖学書の訳本を思わずにはいられない。“解体”には物事をバラバラにするとの意味もあるが、この場合は“解剖”を意味する。従ってこの「解体新書」というタイトルは、素直に読めば「新しい解剖書」という真にシンプルなタイトルになるところだ。
 しかし“新書”という言葉に込められた意味を私なりにこだわれば、この言葉には新しい分野や秩序を築こうとするときの緊張感がこめられていると思う。
 誰も到達したことのない領域に達し、それを世に現すことを許された者だけが使える“新書”という言葉。
 この言葉がタイトルに踊る本を読み開くとき、私は期待感にワクワクし、緊張感で胸をドキドキさせながら頁をめくる。
 さて、今回ご紹介するのは“スポーツ”の解体新書である。本書は、今まで既成事実として君臨(?)してきたスポーツに対する概念規定をことごとく“解体”して新しい概念を構築しようとする意欲作である。私の“新書”への期待感も裏切らない。
筆者の新たなスポーツ秩序の道すじをつけようとする情熱が、熱波となって頁をめくるごとに襲ってくる。

「体育」と「読売巨人軍」
 筆者はこの2つが日本のスポーツを、本来のスポーツの意味から遠ざけたと言っている。明治において欧米文化を取り入れることに躍起だった日本にスポーツが輸入されたとき、残念ながら日本には 受け皿となるスポーツの社会基盤(インフラストラクチャー)がなく、結局大学が主な受け皿となる。しかし、世間の学生に対する目は厳しく、学生の本分は学問(精神活動)であるとして身体活動であるスポーツを“遊び”として認めずしょうがなくスポーツを「精神修養の道具」として世間へ認知を図るのである。
 その後「“下級学校”に配られた結果日本では、スポーツが体育へと変貌しスポーツと体育が同種のものとして考えられるようになった」と言うのである。それ以降スポーツは学校体育の専売特許となり、学校教育だけのものとなる。その結果、スポーツ本来の年齢に関係なく誰もが楽しめ、どこででも行えるというスポーツ観は、日本で育つことがなくなってしまったわけである。
 読売巨人軍は、もちろんプロ野球のジャイアンツのことである。数々のスーパースターを生み出し、日本のスポーツ界の頂点に立つこのチームも、筆者に言わせれば日本のスポーツをダメにしているという。
 一民間企業が、その企業の宣伝効果のみを優先させて運営しているところに、形こそ違うがメジャーリーグやヨーロッパのクラブチームの運営形態と決定的に違うことを指摘する。さらに、特定のメディアが特定のチームと結びついていることに、筆者は大きな疑問を寄せている。
 筆者は、最後に次のような言葉で本書を締めくくっている。
「日本のスポーツ界が(とりわけ、日本人に絶大な人気のある野球界が)過去のしがらみを断ち切つて変革に手をつけ、たとえ小さな一歩でも未来にむけて新たな出発を始めるとき(中略)日本の社会が、真の豊かさの獲得に向かって歩み始めるとき、といえるのではないでしょうか」
 そういえば、どこかのワンマンオーナーがようやく引退というような記事が最近あったように思うが、これで少しでも日本のスポーツ界が変わるといいですね、玉木さん。
(久米 秀作)

出版元:日本放送出版協会

(掲載日:2012-10-08)

タグ:スポーツの意味 
カテゴリ その他
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エネルギー代謝を活かしたスポーツトレーニング
八田 秀雄

運動は全て有酸素運動である
 われわれ人間はエネルギーを補給することによって身体活動を営んでいる。そして、このエネルギー補給の中でとりわけ重要なのが酸素補給である。筆者は、この酸素がエネルギーを生成する過程について「糖が分解されて、ピルビン酸になり、それがミトコンドリアのTCA回路に入って、ATPが作られました。(中略)そして、TCA回路──電子伝達系と反応が続き、ATPが作られます。このとき酸素が必要になります」と解説する。そして、酸素はミトコンドリアでATPを作る際に、反応の仲立ちをする働きがあると言う。
 ここまでは従前の知識と変わりはない。しかし、ここからが違う。筆者は、身体活動している限り強度に関係なく酸素の仲立ちは必ず行われていると言うのである。ん?
 そこで学生時代を思い出して、運動とエネルギー供給の関係について簡単に復習してみよう。運動時のエネルギー供給には3つの方法があって、1つはATP-PC系。この供給機構でまかなえる運動時間は7秒であった。次に反応は解糖系に移り、33秒がこの機構でまかなえると言われた。そして、その後は酸化系のエネルギー機構、つまり有酸素運動となるわけだ。従って、前者の7秒+33秒は無酸素運動だとわれわれは学生時代に教わったわけだ。
 ところが筆者は、たとえ最初の7秒間の全力運動でもエネルギー供給機構はATP-PC系だけではなく、ほかのシステムも働いていると言う。
「ヒトが生きているということは、糖や脂肪から酸素を消費してATPを作っているということです。それは運動中でも同じです。全ての運動は有酸素運動なのです。ダッシュも無酸素運動ではありません」 うーん、これは大変新しい解釈と言ってよいでしょう。

乳酸は疲労物質ではない
 疲労の研究は大変古くから行われているが、スポーツ競技場面においてはパーフォーマンスを低下させる原因となるので、現在でもスポーツ科学の中心的テーマの1つである。しかし、この疲労の原因と考えられている物質については昔から乳酸が常識であった。
 しかし、筆者はここでも「乳酸は疲労に無関係ではないが、高い強度の運動における疲労、特に疲労困憊を、乳酸による体内の弱酸性化だけで説明するのは不適当である」と書いている。
 そして、本当の原因は「高い強度の運動でクレアチンリン酸がなくなりリン酸が蓄積することが、疲労に大きく関係している可能性がある」と述べ、さらに「カリウム、カルシウムなど、疲労は多くの要因が関係していて、1つの要因だけで決まるわけではない」と結論づけている。
 筆者は、このようにスポーツをする者にとって今まで常識とされていた知識に対して「生理学的視点を持ちながら生化学的に考える」ことによって新たな結論とそれに基づいた新しいトレーニング方法を提案することに意欲的だ。さらに「一般の方はテレビなどでスポーツ観戦をするときに、より面白くなるということで読んでいただければいいかと思います。」という肩の力が抜けたコメントにも好感が持てる。
 大学院生やこれからスポーツ科学に興味を持つ人には、格好の運動生理生化学の入門書としてお勧めしたい一冊である。
(久米 秀作)

出版元:講談社

(掲載日:2004-06-10)

タグ:生理学 乳酸 代謝 
カテゴリ スポーツ医科学
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スポーツの法律入門 知らないと損をする指導者のリスクマネジメント
入澤 充

体育と人権
 わが国は法治国家である。法治国家とは、教科書的に言えば「国家統治権の発動が、あらかじめ議会の議決を経た法律に基づいて行われるべきであるとした国家」ということになるが、これは同時に「国が国民の自由と権利を法のもとに保障する」ことをも意味する。
 そして、この国民の自由と権利の保障において、現在最も重要だと考えられているのが「人権の保障」である。
 だが、わが国のスポーツ界ではこの人権保障、特に被教育者(生徒、選手)への人権保障についてはいささか意識が低いように思える。そこには、明治以来わが国がスポーツ=体育とし、スポーツの教育的側面ばかりが強調され、教育者が被教育者に対して絶対的優位な立場をとることを国民が甘受してきた歴史があることが原因としてみてとれる。
 しかし、ここ数年のスポーツをとり巻く環境は著しく変化した。アマチュアリズムは崩壊し、スポーツでお金を稼ぐことは半ば公然となった。また、トップ選手がマスコミに対しスポーツを楽しんでいるという姿勢を強調するようになった。その結果、国民にはスポーツとは自らが楽しむために行うものという自己権利意識が常態化し、付随して人権意識も確実に高まった。
 こういった中で、もしも体育が従来通りのスポーツ指導を継続しようとするならば、世間とのギャップは広がり、結果的に体育のアイデンティティーを失うことになるであろう。
 わが国のスポーツの屋台骨を支える体育がそうならないためにも、スポーツにおける「人権の保障」問題は是非おさえておくべきだと思うのである。

新しい人権としてのスポーツ
 本書はさまざまなスポーツ指導場面で起こったトラブルを例に挙げながら、当事者 の法的責任の所在を明らかにしている。
 例えば、体育授業でバレーボールの支柱が倒れて頭に当り、その結果重い後遺症を患った生徒の両親が学校に損害賠償を請求した事件では、「学校には被教育者の生命・身体の安全保障義務があるので、このバレーボールの支柱が設置上及び管理上において通常の安全性を欠いていれば、損害賠償を請求できる」としている。
 また、「教師は教育活動中には、生徒が危険な目に会わないよう常に注意をする義務があります。(中略)これを怠っていたとしたら教師の注意義務違反」とも指摘する。 また、柔道の部活動で顧問不在中に先輩の無謀な稽古の結果1年生部員が前頭部を畳に強打し、脳内出血、脳軟化症の傷害を受けた例では、「判決では、教師は練習の指導・監督義務を放棄したのに等しいと厳しい判断をされます。(中略)放課後、指導者が不在であった場合には、練習を中止させることも注意義務の一つ」と結論づけている。 この例では、傷害を受けた1年生のスポーツすることによって幸福を追求する基本的人権(憲法13条)が先輩の無謀な稽古によって不当に侵害され、その責任が監督者である学校と顧問教諭にあるというわけである。このほかにも本書には、スポーツクラブやイベント会場でのトラブル例やクラブ内で起こったいじめやセクシャルハラスメントに対する法的解釈等についても数多く言及している。
 どのトラブルも身近で起こる可能性があり、読んでいて身につまされる。
 しかし、本書の本当の狙いはどうやら各種トラブルに対する対処の仕方や転ばぬ先の杖的なハウツー本ではないということが、読み進めていくうちにみえてくる。
「新しい人権としての“スポーツ権”を主張していくことが、文化としてのスポーツがより深化していくことにつながるのです」この言葉に、著者の思いのすべてが集約されているようだ。
 新しい人権としてのスポーツ、スポーツ権はまさに新しい時代のキーワードだと思う。
(久米 秀作)

出版元:山海堂

(掲載日:2004-05-10)

タグ:法律 損害賠償 
カテゴリ 法律
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シマノ 世界を制した自転車パーツ 堺の町工場が「世界標準」となるまで
山口 和幸

堺の町工場から世界標準へ
 本書は、自転車部品メーカー「シマノ」が世界一の自転車「パーツ屋」になるまでのノンフィクションドラマである。
 株式会社シマノは現在大阪府堺市に拠点を置く。創業は1921年。鉄工所の職人であった島野庄三郎が島野鉄工所として興した会社である。
 当初島野鉄工所ではフリーホイールというギヤパーツを製造していた。しかし、その初代社長庄三郎が逝去した頃には第一次サイクリングブームも終り、会社は経営の建て直しを迫られる。
 そんな会社を引き受けたのが庄三郎の長男尚三である。そして、彼と弟の敬三、三男の喜三が会社経営に乗り出してからは、三兄弟は才覚と社内での役割を三者三様にこなし、これが“三本の矢”となって会社を大きく飛躍させていくことになるのである。

ブレーキにシフトレバーを載せろ
「おい長、あれ困るんちゃうか?」
 7400の企画を担当していた長義和が、島野敬三専務に呼ばれた。長はSIS(シマノ・インデックス・システム)と呼ばれる変速機の位置決め機構を7400に搭載した際の中核となった人物で、それ以前自転車選手時代はミュンヘン五輪とモントリオール五輪に出場。モントリオールでは日本自転車界初の6位入賞を果たした日本短距離界の名選手であった。
「SISできてええねんけど、上りで立ち漕ぎするやろ。そしたらハンドルから手が離せないから、変速できへんやろ」
「まあ、できませんね」
(中略)
「あれって因るんちゃうか。アタックされるでしょう、こっちが変速しているすきにね」
「まあ、それもヤツらの作戦ですから」
「チェンジレバー、手元にあったらいけるんちゃうんか」
 シマノを世界的自転車企業に躍進させた原因は、こんな発想の柔らかさにあったようだ。

ストレスフリーという名の自転車
 この物語はシマノの商品開発に対する先見性とそれに注ぎ込む情熱が中心であるが、実は本当の主人公はここに出てくる社員一人一人なのである。
 前述の会話にもあるように、選手の実績を持つ社員と会社のリーダーが直接意見をぶつけ合う。リーダーは常に誰でも乗りやすい、人間にとって限りなくストレスフリーな自転車を想像する。それを、技術者であったり、元選手であったりした人々に実現するように指示する。そして、この会社では指示を受けた人々が実に誠実に、満身に力を込めて実現しようとしている。ここにシマノの世界一たる所以がある、と著者は看取する。
 翻って考えれば、スポーツ現場においてもコーチは技術者(選手)-人一人に先見性を持って技術の進歩・実現を望むべく指示を出し、選手が誠意を持って答えを出そうとしたときに最高のパフォーマンスが生まれる。
 実業界とスポーツ界の違いはあれ成功の秘訣は同じところに潜んでいることに、本書を読んでいると気づかされる。
 私事で恐縮だが、実は8年ほど大阪に在住していたことがあり、その間にシマノのレーシングチームで体力測定やら実走中のベタルにかかる力(踏力)の測定やらを手伝ったことがある。
 残念ながら、我がデーターはまったくシマノの世界的躍進には役立たなかったようだが、本書中にも当時レーシングチームをまとめておられた岡島信平氏の名前や辻昌憲監督の名前を拝見し、妙な現実感を持ちながら本書を読ませていただいた。
 日本は技術立国であると言われているが、本書を読んで改めて納得した。日本はまだいける、と勇気をもらえる一冊である。
(久米 秀作)

出版元:光文社

(掲載日:2004-03-10)

タグ:開発 自転車 パーツ  
カテゴリ その他
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日本人大リーガーに学ぶメンタル強化術
高畑 好秀

「選手の指導」に効く薬
 今この書評を目にしている方々は、なんらかの形でスポーツの指導に携わっていらっしゃる方々だと思うので、選手の指導に関しては、一方ならず苦労があることは重々承知のことと思う。私事ながら苦節20年この世界に身を置いて、何度“選手指導の特効薬”はないものか思い悩んだことか……。
 なんだか新年早々しみじみした話になってしまったが、特効薬はないにしても、スポーツ指導で成功するための黄金律は存在するのではないかということは薄々感じるのである。そして、その存在を知るには“我々は人間を指導している”という、ごく当たり前の事実に気づくことが重要なのではないだろうか。
 人間を社会的動物とみた場合、「マズローの欲求段階説」によれば、人間には5段階の欲求があると言う。この5段階とは下位から生理的欲求、安全・保障の欲求、社会的欲求、自我の欲求そして最高位の自己実現の欲求のことである。
 こうしてみると、スポーツ指導の場面においても一選手の持つ欲求はこの段階に沿っているようにみえる。例えば、そのスポーツを始めるにあたっては、今まで自らが満たされないと感じていた部分を満たしてくれそうだという生理的欲求が動機として強く働いたと考えられるし、次にそのスポーツを継続するには未来への安定つまり生活の安全や保障欲求が満たされることが重要である。
 そして、次第に欲求は高位へと高まり、そのスポーツに携わっていることへの社会的認知が得られ、人々から尊敬されることで自我の欲求を満たし、理想的な自己の確立を成し得ることで、果たしてそのスポーツに携わった喜びを得ることになるのである。
 選手には、選手という以前に、一人間としてこうした欲求があることを先ず指導者が理解することこそが指導の“特効薬”ではないだろうか。

メンタル強化術
 さて、今回ご紹介する本書では、選手指導の特効薬的方法論として“人間の心理”を理解することをテーマとしている。
 内容は、場面設定の多くが会社の上司と部下の関係における心理、つまり部下に如何に余計なストレスを感じさせずに仕事に集中させるかとか、部下のやる気を育てるには上司はどのような発言や行動をとるべきかというような形で書き進められているが、これはこのまま指導者または監督と選手の関係においてもありえることであるので、本書の内容は十分スポーツ指導現場において応用可能である。
 これについては著者も意識したのであろう、各章の最後には日本人大リーガーを含めた大リーガーたちのメンタル強化術について触れられており、大リーグの指導者やトップ選手が本書に述べられているような心理作用をどのように指導や自らのメンタルコントロールに用いているかについて興味深い話を載せている。
 著者が現在まで、イチローら多くの一流プロ野球選手のメンタルトレーニングを指導した経験がここに生かされているようだ。
 スポーツにおけるメンタルコントロールについては、日本はまだ欧米からみるとようやく端緒についたばかりに思える。
 しかし、今後日本の一流選手がTV画面を通して、メンタルな面を強調したコメントをより多くすれば、必ずやそれを見ている次世代の子どもたちは、新鮮なスポーツ感覚を磨くことであろうし、これは結果的に日本におけるスポーツという文化の深遠を深め、発展に繋がることになるであろう。
 今年はこれを期待しながら、スポーツ関係者の皆さん、一年頑張ろうではないか。
(久米 秀作)

出版元:角川書店

(掲載日:2004-02-10)

タグ:メンタル  
カテゴリ その他
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脳百話 動きの仕組みを解き明かす
松村 道一 小田 伸午 石原 昭彦

トキザネ先生
 今回は“脳”の話である。タイトルには「脳百話」とあるが、正確には101話の話題がそれぞれ読み切り方式で出てくる。しかしすべてが脳の話ではない。脳にまつわる話と言ったほうがよいかもしれない。
 ところで、脳の話となると、私は個人的に時実利彦著「脳の話」(岩波新書・青版)を思い出さずにはいられない。
 このトキザネ先生の名著と出合ったのはまだ夢もチボー(希望)もあった大学院生のときと記憶している。
 私はこの単行本のおかげで研究室に通う電車の中、ひたすら脳の神秘に浸り、ヒトの動きの妙に感嘆し、自身の将来の研究に大いなる野望を抱いたものだったが、果たして…。
 話を戻そう。トキザネ先生は本書の第一章に「心のすみかを求めて」と題して、脳研究小史をお書きになっておられる。それによると、人間の“精神”というものが整った形で考えられるようになったのは西暦紀元後のローマ時代になってからだと言う。
 この時代のヒポクラテスとともに古代医学の祖と呼ばれているガレノスが、それまでのアリストテレス流の心臓に心の座を求める考え方を否定して、人間の精神を想像、理性、記憶、感覚と運動の4つに分類し、それらが脳でつくり出されると主張したのだという。
 しかし、ガレノスの死後約1300年の中世暗黒時代には、彼の主張はマホメット教やキリスト教の教義に反するという理由で歪められてしまったのである。
 しかし18世紀に入ると再び脳の実質そのものに精神の働きを求めようとする考え方が出てきて、19世紀には実験脳生理学の黎明期を迎える。
 その結果、大脳皮質の働きが徐々に明らかにされていったのである。
 そして20世紀に入ると、麻酔法の発達と脳外科手術の進歩によってより精密な脳研究が進められるところとなったのである。

動く“脳”と柔らかい“脳”
 このトキザネ先生の著書を読み進めていくと、さかんに“働き”という言葉に出合うことに気づく。
「大脳皮質の“働き”」とか「頭頂葉の領域では判別や認識の“働き”がある」と言った具合である。
 しかし、本書にはこのような言葉使いはあまり出てこない。本書では、「呼吸や咀嚼・歩行といった生存のための基本運動は(中略)脳幹で制御される」「(指のタイピンク運動など)を効率的にするためには、(中略)一次運動野への入力が重要である」となる。こう言った言葉の使い方ひとつにしても、そこから現代の脳科学の進歩が窺い知れる。
 そう言えば、本書のサブタイトルは「動きの仕組みを解き明かす」であった。脳機能の動きの解明、多分トキザネ先生なら“脳の働きを解き明かす”としたであろう。
 さて肝心の内容であるが、これが極めてユーモアのセンスに富んだ内容なのである。
 例えば、タイトルだけ追ってみると「黙って座ればぴたりと当たる--脳地図と脳機能地図」とか「宇宙で筋肉はどうなる」「休めば痩せる筋線維」「うさぎとかめの筋線維」さらには「夢は目玉を駆け巡る--REM睡眠の話」「アガる人・キレる人--感情の運動作用」などなど。
 この本の執筆者たちは相当“柔らかい脳”の持ち主である。本書にはこの他に「名人への道のり」と題した中枢の運動学習についての記載もある。それによると、中枢は訓練によって運動の効率化を“学習”すると言う。
 多分柔らかい脳の持ち主は、この効率化によって得た余裕をユーモアに当てるのであろう。読者諸君にも是非本書に触れて“柔らかい脳”とユーモアを学習してもらいたいものである。
(久米 秀作)

出版元:市村出版

(掲載日:2004-01-10)

タグ:脳  
カテゴリ スポーツ医科学
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スポーツ競技学
L.P.マトヴェーエフ 渡辺 謙 魚住 廣信

 本書の冒頭「訳者のことば」のところで、「スポーツトレーニングにかかわる者で、『マトヴェーエフ』という名前を知らない人がいるだろうか。
 もし知らないというなら、それは非常に恥ずかしいことであり、スポーツトレーニング理論を知らないといわれても仕方がない」と書かれているのをみて、私は非常に恥ずかしい思いを抱えながら本書をゆっくりと読み始めた。
 本書の原著者であるマトヴェーエフ・レフ・パワロヴィッチ博士は教育学博士および名誉博士の学位を有し、現在ロシア国立体育アカデミーの教授ならびに功労教授である。過去においては国立中央体育大学の学長も勤めた経歴を持ち、ロシア、ベラルーシ、ドイツ等において名誉称号を授与されている。博士自身、学生の頃は器械体操を専門とし、日本で言うところの「特待生」コースに所属していたと言う。
 博士が指導者として活動を始めたのは16・17歳からだそうで、その後ソ連の複数の選抜チームをオリンピック、その他の国際競技大会に向けて指導するようになった。そして、体操、陸上、水泳、重量挙げのソ連ナショナルチームや東独、ブルガリア、キューバ、中国などの選抜チームのコンサルタントも勤めている。
 博士が著した中で、「スポーツトレーニングの基礎」(日本では「ソビエトスポーツ・トレーニングの原理」として翻訳出版されているそうである)は、日本のみならず世界中の多くの国で高い評価を得たそうで、今回の著書は博士の長年の経験から得たトレーニング理論の集大成的位置づけになっているようである。

若い指導者に読ませたい
 さて肝心の内容であるが、正直言って十分本書の内容を理解するにはスポーツ指導に対してかなり高い意欲を持ち、かつ専門的知識を有していることが必須条件となるだろう。例えば、「スポーツ現象とは何か」という章では「スポーツ」というカテゴリーの範囲やそれに関連する概念規定を試みているし、現象的側面だけに議論が終始しているかと言えば「競技会と競技会システムの理論」といったより現実的な理論構築にも言及している。
 さらに、異体的な「トレーニング法の組み立て方」のような実際場面に応用可能な著述も見られる。この辺の著述は、むしろ本書前半部分の現象学的議論や理論構築よりも博士にとっては若き日の指導経験を生かした“得意分野”なのではないだろうか。
 本書の原文タイトルは「スポーツ原論とその応用」だそうだが、後半を読み進めていくうちにこのタイトルに納得ができる。ただ、日本においては訳者と監修者が相談の上「スポーツ競技学」に変更したそうである。
 今後わが国で、“スポーツ競技学”という総合的カテコリーを網羅する学問領野が構築されるきっかけとなるであろうか。

「訳者のことば」を再び引用したい。
「『木を見て森を見ず』、このような指導者をなくしてスポーツトレーニングを総合・統合科学として認識できる指導者を育てなければならない。その意味で、わが国において一人でも多く本書の内容とその価値が理解できる指導者が増えることを願う次第である。」私も同感である。
 やや枝葉末節的議論が先行気味の最近のわが国のスポーツ界において、改めて統合的にスポーツ全体を鳥徹する意味は大きい。この訳者の願いが本物になるために、私は本書を熱意ある若き指導者達に是非読ませたいと思っている。
(久米 秀作)

出版元:ナップ

(掲載日:2012-10-08)

タグ:トレーニング ロシア 
カテゴリ 指導
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女性アスリート・コーチングブック
宮下 充正 山田 ゆかり

出産する身体
 今年はオリンピック・イヤー。日本選手団における女子選手数は男子の数を上回り、いざオリンピックが始まればこぞって国民は女子の活躍を祈り、勝利に歓喜したことは未だ記憶に新しい。
 そんな時代だからこそなのか、ここに「女性アスリート」に対するコーチングブックが登場した。著者の一人が“あとがき”にこんなことを書いている。「ところがまわりを見回しても、女性ならではの『からだとこころ』を解説するコーチングブックはこれまで存在していません。(中略)だからこそ、女性アスリートたちのよりよいスポーツ環境を目指すための本が、どうしても必要だと思ったのです。」そうだったのか。そう言われれば少ないのかなぁーと思いつつ筆者の拙い記憶を辿るに、女性とスポーツというテーマ自体はそれほど新しくもないことに気づく。とすれば、本書は何が“新しい”のか?
 今回特に興味深く読ませていただいたのは「第2章こころ」の部分だ。というのは、従来の女性とスポーツのテーマは“からだ”の部分に主に焦点が絞られていて、その結果月経や妊娠といった女性の生殖機能とスポーツの関係はかなり一般的理解が得られるようになってきた。が、女性のこころ、特に社会的存在としての女性のこころの部分へのアプローチは十分とは思えないからである。実は、ここのところの問題解決が、女性アスリートをコーチングする際の鍵となることを本書は教えてくれている。「女性とスポーツの歴史をひも解いてみると、そこにはいつも『女性としての』あり方を問う声が充満していました。(中略)いずれにせよ、女性がスポーツをする際には常に生殖機能や外見・容姿に対する美醜の観点から捉えられてきたことがわかります。つまり、女性の身体はいつも『妊娠―出産する身体』としてみられ、スポーツは将来『母体』となる身体にダメージが及ばぬように禁止され」た歴史が長かったというわけだ。その一方で「『母体』となるからこそ身体を鍛えよと奨励もされてきた」のも事実であると本書は指摘する。ということは、この社会的呪縛から女性が真に解き放たれるときに新しい女性とスポーツとの関係が構築されると言えるが、ここのキーワードは実は“男性”なのだということにも強く気づかされるのである。性としての男女と社会的存在としての男女。それぞれにおける男女の役割分担は必ずしも一致しない。ことスポーツに関してはあくまでも社会的存在としての男女を基本として成り立つ文化であることを改めて理解する必要を読後に強く感じた。

弱者としての身体
 もうひとつ女性とスポーツを考えるうえで大切な問題が存在する。それは「セクシャルハラスメント」である。本書は、サブタイトルに「コーチのモラルとマナー」と題して、この今日的問題に対して「男性コーチの女子アスリートに対するわいせつ行為やレイプ、セクシャルハラスメント行為は、『身体の接触をともなう』『精神性を重んずる』などの線引きがあいまいなうえ、絶対的な主従関係が被害の表面化を阻んでいます」と厳しく指摘する。これもいわば社会的存在としての男女という考え方への“男性側”の認識不足と人権に対する意識の希薄さを露呈している格好である。
 オリンピックの余熱がまだ残る今こそ、スポーツが持つ社会的、文化的役割を社会全体で再認識するチャンスである。是非ともこのチャンスに多くの問題への取り組みがなされることを切に期待したい。本書の女性アスリート問題への取り組みは、スポーツ社会に限らず、一般社会の枠組みへの挑戦という意味でも斬新な切り口であると思う。

(久米 秀作)

出版元:大月書店

(掲載日:2004-11-10)

タグ:女性 
カテゴリ 指導
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ファイブ
平山 讓

バスケットボール稗史(はいし)
「バスケットボール部を今年限りで休部とする」。平成7年から4連覇を含む5度のJBLスーパーリーグの優勝を果たした名門いすゞ自動車バスケットボール部に、平成14年1月30日リストラの風が吹いた。しかしこの事実を頑なに拒否し、「ファイナルで優勝したら、休部の話がなくなることだってありますよね」と執拗に会社幹部に食い下がった男がいる。その男の名は佐古賢一。ポジションはポイントガード。愛称「ミスターバスケットボール」。その名の通り、彼は中央大学時代に日本代表入りを果たし、平成9年にはアジア選手権(兼世界選手権アジア予選)で準優勝し、31年ぶりに日本を世界選手権に導いた中心的人物である。さらに、その間リーグ戦においても6年連続ベストファイブとMVPを3度受賞している。まさに「ミスター」の名にふさわしいこの男が、今リーグファイナルで戦っている。相手は初優勝を狙うトヨタ自動車アルバルク。試合は残り15秒。得点は66対63、いすゞ3点のビハインドだ。「『おい』と長谷川の肩を掴んだ。長谷川が驚いたように振り向き、佐古を見た。(ボールを)『俺によこせ、ぜったい、俺によこせ』」(中略)「長谷川が小さく頷いた。試合が再開された。時計が動き出し、カウントダウンが始まった。」佐古は、残り2秒、シュートを放つ。「入った!これまで幾千、幾万と打ったシュートの経験から、指先の感触で、佐古はそう感じた。」しかし、その感触が間違いであったことに気づくのに、そう時間はかからなかった。

アイシン・シーホース
 捨てる神あれば拾う神あり。鈴木貴美一は、休部するいすゞ自動車にとって最後の試合を観客席から見つめていた。彼はアイシン精機という自動車部品メーカーが雇ったプロのバスケットボールコーチだ。当時、JBLにおいてアイシン・シーホースという名はそのまま“弱小”の代名詞となっていた。しかし、鈴木は人材を見定め、虎視眈々と日本一の座を狙っていたのである。佐古は、鈴木の目にとまった5人目の男であった。
 この物語は、一人の男が名門チームの廃部によって優勝経験のない弱小チームへ流れ着くノンフィクション・ストーリーであるが、稗史(はいし)つまり小説のような風情を持った物語だ。
 そのチームには、佐古と同じように親会社からリストラされて引退の危機にありながら、やはり鈴木に拾われた個性豊かな4人のベテラン選手がいる。「本書は、ある地方の小さなバスケットボールチームから、もう一度自分自身への存在証明を試みたもの達の心の有様を探求した」泥臭い、いや汗臭いスポーツノンフィクションなのである。
 現在の日本のスポーツライターの原流は、1980年4月に発刊された「Number」(文藝春秋社)にあるという人がある。その最新号(11月25日号)には、Jリーグ、MBLに混じって“Yuta Tabuse”の特集が組まれていた。日本人初のNBA選手としてフェニックス・サンズの開幕アクティブロスター入りした彼の今後の活躍は間違いなく日本のバスケットボール界に喝を入れてくれるはずだ、と原稿を仕上げようとしていた11月25日の読売新聞朝刊に「バスケにプロリーグ」の見出しが躍った。田臥の喝が早速利いたようだ。
 スポーツはよく感動を呼ぶと言われる。その感動は瞬間という時間の中で冷凍され、それがファンの刹那的な情熱によって解凍されたときに初めて得られるものではないか。だとすると、やはりスポーツにファンは欠かせない。“見るスポーツ”同様“読むスポーツ”にも本書を機として多くのファンがつくことを望みたい。我が国のスポーツのさらなる成熟のためにも。
(久米 秀作)

出版元:NHK出版

(掲載日:2012-10-09)

タグ:バスケットボール ノンフィクション 
カテゴリ その他
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勝利をつかむコンディショニングBOOK
坂詰 真二

 本書の英語タイトルは「SPORTS CONDITIONING BOOK」だが、どうもこの“スポーツ・コンディショニング”という言葉を聞くにつけ本来の“コンディショニング”の意味を忘れてしまいそうで不安になる。本書にも「コンディショニングの解釈として、文字通り疲労や痛みを取るなど『心身の調子を整える』という『調整』としての意味でのみ使われることもあります」と一応断り書きはあるのだが、ここでは、積極的な体調管理方法、あるいは競技力向上を意図した一種のトレーニング用語として“コンディショニング”を定めているようだ。
 しかし、もともと“コンディション”という言葉は我々の日常生活と密着したところで生まれたわけで、したがって本来は、「今ある快適な状態(コンディション)をそのまま維持する」とか、「自分の生命維持にとって最良と思われる環境を整える」といった比較的穏やかな印象を与える意味の説明が適当であると思う。つまり、もともとの“コンディショニング”という言葉には、マズローによる欲求段階説にもあるように、人間には、群れるといった集団欲求や理想を実現しようとするような高級あるいは積極的な欲求以前に、生命を守るために必要な衣食住環境を整えたり、これらを未来に向けて維持していこうとする安全保障欲求といった、いわば自らの“種”を保存するために最適な環境を整えるという意味合いが濃厚に含まれると考えてよい。ということは、最良のコンディショニングとは人間の生命力、簡単に言えば寿命を延ばすことであると言えるのではないだろうか。
 今私の手元に『人間の強度と老化―人間強弱学による測定結果』(山田博 著 NHK放送出版協会)という本がある。この中で著者の山田博士は、身体の個々の器官や組織の強さを研究することによってその総合体である人間の寿命を予測できるとした。その結果、理想的なコンディショニングが維持されれば110歳までは誰でも生きられると予測したのである。

スポーツとコンディショニング
 スポーツ活動は必ずしも種の保存を約束するものではない。また、必ずしも寿命を延ばすわけでもない、とも言える。たとえば、人間にはなぜ老化や寿命があるのかについては諸説あるようだが、その中に「エラー説」というのがある。このエラー説とは、細胞が分裂を繰り返していく間にその細胞内にエラーがたくさん積み重なって、それが結果的に老化を招いて死んでしまうというものらしい。実はこのエラーを増大させる原因は我々の周囲にたくさんあって、その中のひとつに酸素がある。酸素はご存知のように我々にとってエネルギーを得るのに必要不可欠なものだが、最終的には還元されて水となる。ところが、このとき還元されない酸素もあるようで、還元されないと過酸化水素等の活性酵素として体内に残存するのである。そして、この活性酵素がDNAや細胞膜を傷つけ細胞が死んでいき、延いては「死」に繋がるというわけである。とすれば、スポーツ活動時の大量の酸素摂取は果たして「コンディショニング」と言えるかどうか疑問が残る。
 こう考えてみると、スポーツという行為とコンディショニングを整えるという行為は必ずしも同じ方向を向いた行為と捉えるのは難しい。むしろ、寿命を短くするかもしれないスポーツに対してコンディショニングという本来の寿命を確保する目的を持った手法を使って初めてスポーツの持つマイナス要因が補完されるというのが、スポーツ・コンディショニングの正しい解釈なのではないかと思う。こういった視点をもって本書を読み解いていくと、後半に筆者が「スポーツ疾患の予防と対応」や「リコンディショニング」の章を立てた理由がより一層理解しやすいと考えた。
 本書には、休養期、体力期、技術期、戦術期、調整期等の各期におけるコンディショニングの方法が図表や豊富な写真を使って懇切丁寧に説明されている。この頃は喜ばしいことに、こういった専門的知識を取り入れて正しいトレーニングを身に付けようとする人々が増えてきたように思う。本書にも、そこのところを意識して本づくりに励んだ努力の跡が随所に見られる。本当に、スポーツを愛してやまない人間が書いた、まじめな一冊である。
(久米 秀作)

出版元:ベースボール・マガジン社

(掲載日:2005-08-10)

タグ:コンディショニング  
カテゴリ スポーツ医科学
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大旗は海峡を越えた
田尻 賢誉

おめでとう、駒苫ナイン!
 今回の書評はこの試合を見てから書こうと心に決めていた。第87回全国高校野球選手権大会決勝戦。南北海道代表の駒大苫小牧対京都代表の京都外大西の試合である。駒大苫小牧は、ご存知のように昨年のこの大会の覇者である。「04年夏、駒大苫小牧は全国4146校の頂点に立った。甲子園での北海道勢初めての優勝。第1回大会から89年。ついに、深紅の大旗が津軽海峡を越えた。あれから1年が経とうとしているー。」こんな文章から始まる本書は、もちろん昨年の駒大苫小牧のこの快進撃の理由を克明に追うことを旨として書かれたものだ。
 監督の香田誉士史は弱冠35歳。彼は北海道生まれではない。佐賀出身。大学も東京の駒沢大学を出た彼は、出身はおろか教員としても監督としても北海道とは縁もゆかりもなかった。その彼に駒苫の監督を勧めたのは駒大時代の恩師太田誠野球部監督だ。「『当時の子たちには悪いから、あまり言いたくないんだけど……』と前置きしながら、香田監督は赴任当時の印象をこう話す。『信じられない。これが第一印象ですね。ウチの10年前を知ってる人であれば誰でも言うと思うんだけど、これはちょっとキツイなと』」。現在の栄光の陰には信じられない過去がある、といった話はよく耳にする。グラウンドすらなかった、練習おろかグラウンドに選手すら集まらなかった等など。私事ながら監督を始めて約20年。当初私も、自分より足の遅い選手、脂肪腹を突き出して息切らして走る選手を見て何度となくため息をついたものだ。しかし、若さと夢があった。だから……そう、香田監督もだからこそできたことがある。今だからこそできることがある。スローボール打ちに雪上ノック。通常のバットの1.3倍の長さの竹バットを使ったティー打撃。「長ければ長いほど最短距離で出さないと芯に当たらないんです。これによって、ヘッドを利かせるイメージをつけたい」本書の中には、こんな香田野球の秘密がいたるところに語られている。

“コーチ”という仕事
 コーチ(Coach)という言葉が普及し始めたのは1500年代と言われている。そして、この言葉は当初屋根付の四輪馬車のことを指していた。そしてここから、コーチという言葉には「人を望むところに連れて行く」という意味合いが含まれるようになったと言われる。その後1800年代には、イギリスで大学受験を指導する個人教師やスポーツの指導者にこの言葉が使われるようになったようだ。この頃でもやはり、コーチは人の望みを叶えるお手伝い的意味合いが強い。しかし、いつの間にやらコーチは助言者よりも指導者の色合いを深めることとなる。とくに日本においては何故か“監督”者の意味合いが強い。しかし、香田監督には選手を“監督”している意識はない。「外野手もキャッチャーと同じ。バッターみて、スイングや特徴を(自分で)見極めろ。(中略)失敗してもいい。思い切りやることが大切だ」。コーチの仕事は、選手の話に耳を傾けることだ。君の夢はなんだ? どんなプレーをしたい? なるほど、わかったと相槌を打ち、じゃあこうしたらどうだと助言をする。そして、最後に「君ならきっとできる」と肩をポーンとたたいてグラウンドに送り出してやることだ。こうなれば選手は自ら行動を始める。つまり自らオートクライン(気づき)を始めるわけだ。
 本書は最後にこういって締めくくっている。「北海道中が再び歓喜にわく日は、そう遠いことではない。」奇しくもその願いは1年後に叶った。香田監督は勝利監督インタビューで大きなからだを小さく丸めてこう言った「自分はいつものようにどきどきしながら見守ることしかできなかった。……選手にありがとうと言いたい」さぞかし彼の眼には、自らの判断で自由に動き回る選手たちが眩しく映ったのに違いない。
(久米 秀作)

出版元:日刊スポーツ出版社

(掲載日:2005-10-10)

タグ:野球 コーチング  
カテゴリ その他
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スポーツ選手のためのキャリアプランニング
Petitpas,Al. Champagne,Delight Chartrand,Judy Danish,Steven Murphy,Shane 田中 ウルヴェ 京 重野 弘三郎

「メダルがとれたら、もう死んでもいい」
 こんな言葉で始まる「訳者まえがき」が秀逸だ。本書の内容をさしおいて「まえがき」が秀逸という書評もないだろうと訝る声も聞こえてきそうだが、実は本書が訳本だけに、ある種読者に持たれがちな対岸の火事的非現実感を、いっきにわが国においてもきわめて現実的な問題であることに気づかせてくれるのがこの「まえがき」なのである。これによって、その後に続く本編の内容がぐっと現実味を帯びて読者に迫ってくる。
 この「まえがき」を書いたのは、翻訳者のひとりである田中ウルヴェ京さん。ソウルオリンピック・シンクロナイズドスイミング・デュエットの銅メダリストである。彼女は「ソウルオリンピックで晴れて銅メダル。至福のときだった。(中略)『自分は大きな功績を果たしたのだ』と思ったら、なんともいえない幸福感と達成感に満ち溢れていた」そうだ。しかし、ほどなく彼女はあることに気づく。「オリンピック自体は人生の通過点に過ぎないこと。それが私には分かっていなかった。」その後、彼女は深い人生の闇の中に吸い込まれていく。「もう死ねたらどんなにラクだろう。本音だった」。
 そんな彼女を救ったのが米国留学先で学んだスポーツ心理学。そのカリキュラムの教科書のひとつが本書である。多分、彼女は本書の内容に自分自身を投影させたに違いない。そして、自分と同じ苦しみを後輩に味合わせてはいけないとも感じたに違いない。
 もうひとりの訳者は、元Jリーガーの重野弘三郎氏。彼もまたスポーツに専心してきた一人である。そして、田中氏同様引退時に深い闇の中をさまよった経験を持つ。「多かれ少なかれ、ひとつの競技に専心してきたスポーツ選手、そして(結果を残した)エリート選手であればあるほど、引退時に抱える心理的問題が存在する」。強い日差しに曝されればそれだけ、樹木はその反対側に黒々とした陰をつくるようだ。

キャリア・トランジションとコーチング
 本書のキーワードのひとつに“キャリア・トランジション”という言葉がある。これは、“人生の分岐点”という意味の言葉である。「人は誰でも、人生において分岐点を迎えるものである。これを『トランジション』と呼ぶ。(中略)高校から大学へ移行するとき、あるいはジュニアからシニアのレベルに移行するときがそうである」。そして、人は進学のような予想可能なトランジションだけではなく、予想不可能なトランジションも経験する。たとえば、スポーツ選手がケガによってそのスポーツを継続することが不可能になったときなど。このような場合、選手は突然自分の今まで積み上げてきたキャリアを放棄せざるを得ない状況に陥るわけで、尋常な精神でいられないことは想像に難くない。このような選手を苦しみの淵から助け出すのがコーチの役割でもある。「現役活躍中にキャリアプランを立てることにはいくつかの利点がある。まず第一にスポーツのパフォーマンスによい影響をあたえる。(中略)引退後の方向性をつかめる。(中略)自己についてより深く学べる」。スキルを教えることだけがコーチの仕事ではない。子どもたちに“未来”を教える、おこがましいかもしれないが、これもコーチの大切な仕事と考えたい。
 本書の最後に翻訳者お二人の対談が収録されている。「私たちのキャリア・プランニングから」と題した対談では、お二人の引退後の葛藤とそこから抜け出したいきさつが正直に語られていて好感を持つ。是非とも「訳者まえがき」と「訳者あとがきにかえて」を読んでから本文に進むことを、本書の読み方としてお薦めしたい。

A・プティパ他 著、田中ウルヴェ京、重野弘三郎 訳
(久米 秀作)

出版元:大修館書店

(掲載日:2005-11-10)

タグ:キャリア セカンドキャリア 引退  
カテゴリ 人生
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意地を通せば夢はかなう! bjリーグの奇跡
河内 敏光

「意地の河内」と呼ばれる男
 人間の身体表現方法のまどろっこしさは、内面的には何万もの精密な装置が一寸の狂いもなく事を進めた結果であるにも関わらず、表面に出ると極めて大雑把でかつ不確定的な形にしか積分されず、ゆえに誤解を招くことが多いところある。多分この辺の問題を解決する手段として、人間はバーバルコミュニケーション(言語活動)を発達させてきたのであろう。
 本書のタイトルにある「意地を通す」の「意地」とは、辞書によれば「気立て」という意味である。つまり、その人の心の持ちようや性質のことを言う。「意地を張る」というと何やら強情に固まった風景を思い浮かべるが、「意地を通す」とすれば信念を曲げずに最後まで行動し続ける、と受け取れる。不動に対して行動。このふたつの代表的な身体表現が「意地」という交点においてはぶつかり合ったとき、人は何かしらの決断を迫られる。そしてその結果こそが、その人の本当の「気立て」を現していることになる。
「一般に、何かを成し遂げようとする時には、前に進もうとするチャレンジ精神が必要不可欠となってくる。その点、私はいざという場面では躊躇なくリスクを選択することができるし、また実際にそうしてきた。そんな私を評して『意地の河内』という人もいるようである」この人の「気立て」のよさはどうやら行動原理の中に見出せそうだ。

『坂の上の雲』
 本書は、わが国初めてのプロバスケットリーグ誕生の軌跡を描いたものである。そのリーグの名はbj(Basketball Japan League)。世界には50以上の国や地域でプロリーグが運営され、最近では中国や韓国でもその人気は高いというが、不思議にもわが国には今までプロリーグは存在しなかった。何故か? その素朴な疑問の答えを著者はJABB(日本バスケットボール協会)や旧日本リーグのプロ化を視に入れて立ち上げたJBL(バスケットボール日本リーグ機構)の体質にあると説く。「私が『日本のバスケットボール界全体を変えなければならい』という意識を持ち、それを実際に実行に移していける立場になったのは、1993年、日本代表男子チームの監督に就任してからのことである」。これ以降、彼は様々な組織改革を試みていく。たとえば「それまでは、誰かが新しく監督になると、スタッフほぼ全員がその監督の身内、一派で固められる」というやり方が常であったのを「公平に、実力主義で幅広く人材を集めれば、それだけ多くのチームが『自分たちの関わっている代表』として積極的にサポートしてくれる」という狙いから斬新なスタッフ人事を断行する。また、選手選考についても代表監督の意向が浸透した選考を訴える、などの改革を進めたのである。しかし、「確固たる強化ビジョンを持たない」協会の古い体質は容易には変わらず、結果として「チームへの未練はもちろんあったが、意地を通し、断腸の思いで私は退陣を決意」することになる。
 捨てる神あれば、拾う神あり。企業チームが相次いで廃部し、著者自らも所属していた三井生命チームを退部したころ、彼は運命的な出会いを経験する。それは当時サッカーJリーグに所属するアルビレックス新潟の社長をしていた池田弘氏との出会いである。そして、池田氏の「バスケには市場価値がある」の一言に、著者の「意地」が再び動き出す。
 司馬遼太郎という人の小説に『坂の上の雲』というのがある。この作品は、日本の明治期の初々しさを日露戦争をモチーフにして描いたものである。司馬は、まるで少年のようにその大仕事に無我夢中に飛び込んでいく明治の人々を「のぼってゆく坂の上の青い天にもしいちだの白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう」人々と評した。わたしは今回の本を読んでいて、この河内敏光という男にも、ひたすら坂の上のいちだの雲を見つめて坂を登る少年のような一途さを感じたのである。この少年のような一途さが、多分河内流「意地」の通し方なのだと思う。
(久米 秀作)

出版元:東洋経済新報社

(掲載日:2006-02-10)

タグ:バスケットボール マネジメント  
カテゴリ 人生
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駅伝がマラソンをダメにした
生島 淳

怪物番組
 タイトルが刺激的だ。これが『マラソンは駅伝によってダメになった』ではいけない。多分、書店で何か面白い本はないかと探していた読者にとって、“駅伝”の文字は真っ先に目に飛び込んでくるし、好感も持つはずだ。「駅伝かぁ。最近すごいよなぁ。正月の名物になったもんなぁ。番組の視聴率もすごいんだろうなぁ。怪物番組だね、きっと」てなところで、次の“マラソンをダメにした”に目が移る。「そう言えば、最近日本のマラソンは女子はよいけど、男子はさっぱりだね。これは、駅伝のせいなのか? でも、駅伝ってだいたいマラソン選手を育てるのが目的でやっていたんじゃなかったっけ!? 変だな、面白そうだなぁ、この本買ってみようかぁ」となる。読者にわかりやすい言葉で、なおかつ適度に興味を刺激するタイトル。その点で、本書は先ず合格点。このほかに著者には「スポーツルールはなぜ不公平か」といったタイトル本もある。こういった著者のスポーツに対する独特の着眼点には感心しきりである。
 さて、話をもとに戻そう。先ほど本を買うことにした読者の疑問の答えは?“駅伝って、マラソンの強化策?”なのか。本書は「ひと昔前、箱根駅伝は、極論すれば選手たちの息抜きのための大会だった」の一文から始まる。「1912年、日本はストックホルムで開かれた第五回オリンピックに初参加したが、マラソンを走った金栗四三氏は残念ながら棄権してしまった。そこで、駅伝という名前はまだなかったものの、ロードをリレーしていく競技を作って長距離の強化を図ろうとしたと伝えられている」。どうやら、読者の疑問は正解だったようだ。

メディアとスポーツ
 タイトルにこだわるようだが、よいタイトルは読者の期待も裏切らない。では、なぜ駅伝はマラソンをダメにしつつあるのか。著者はその原因に“箱根中心のスケジュールが陸上競技界を席捲しつつある”ことを指摘する。「取材を進めていくと、箱根に出場するにはとても10月からの練習では間に合わないことがわかってくる。とにかくほとんどの学校が、1月2日と3日にチームのピークを持ってくるように調整を進める」そのため「駅伝に力を注いでいる学校はインカレを軽視する場合も多い」のが現状だ。つまり、トラック種目が軽視され始めた結果、マラソンに必要な基礎的な走力を身につける機会が減ってきていると言うのだ。「(マラソン日本最高記録保持者)高岡寿成は、(中略)箱根とは無縁の生活を送り、日本のトラックの第一人者(3000m、5000m、10000mの日本記録保持。2005年11月現在)となって、マラソンに転向してからマラソン日本最高記録をマークしている」の例や世界のトップマラソンランナーの経歴を挙げて、著者はトラック競技の重要性を説く。
 しかし、現状ではまだまだ“箱根優位”は変わらない。そこには巨大なメディアが関与しているからである。「そして最近は、箱根を走ることがゴールだと考える選手も増えてきた。それだけテレビ中継の影響は大きいということである」。それはそうだろう。正月に真剣勝負である。学生(アマチュア)スポーツである。波乱万丈もある。涙あり、笑いあり、人情もある。これほどの日本人の心をくすぐる最良ソフトをメディアがほっておくわけがない。さらに、大変な広告媒体でもある。視聴者はひたすら選手の走る姿を観る。だから、出場校には絶好の宣伝の場となる。高校生も箱根を走りたがる。かくして、日本のお家芸と言われたマラソンには誰も見向きもしなくなる!? であろうか。来年は大阪で世界陸上が、2008年は北京オリンピックだ。しかし、世界陸上やオリンピック種目には駅伝はない。世界のトップにいてこそ、駅伝の魅力も増すというものである。駅伝の魅力は理解しつつも、井の中の蛙にならぬようにしてもらいたい、と著者も思っているに違いない。
(久米 秀作)

出版元:光文社

(掲載日:2006-03-10)

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カテゴリ その他
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強いリーダーはチームの無意識を動かす
橋川 硬児 石井 裕之

サイレント・カリスマ
 最近、書店の一部を陣取っている書籍群に「ビジネスシーンでのコミュニケーション・スキル」に関するものがある。タイトルはさまざまで、意匠を凝らしたものが多いが、ベースになっている理論に注目すると、「コーチング」と言われるものや、「NLP(神経言語プログラミング)」をベースにしているものがとくに目に付く。両者とも輸入物だが、最近は日本的会話術よりもこちらのほうが売れているようだ。
 前者の「コーチング」は、先ず相手の話に耳を傾ける(傾聴)ことから始まり、“質問スキル”を使って自らが気づき、自らの行動を促すことに重点をおいている。一方「NLP」のほうは、人の無意識な部分をうまく活用できるようなコミュニケーション・スキルを身に付けることに重点をおいている。だが、両者とも目指す方向性に大差はない。
 今回紹介する本は、一応「NLP」理論をベースにしてはいるが、それほどこの理論を理解していなくても読める一冊である。要は、“これからの管理職には、どうやって部下のやる気を引き出すかが重要なキーワードになる。だから、コミュニケーション・スキルを学びましょう!?”と、“無意識”に語りかけるような内容になっている。「これまでのリーダーは、権限に支えられ、トップダウンでみんな従ってきました。だから権限さえあれば、誰でも、カリスマリーダーになれたのです。(中略)しかし、今の若い人はついてきません。王様が何も着ていないことを見抜いてしまいました。そして、『王様は裸だ』と平気で言います」
 つまり、権限だけじゃ人は動かない、監督・教師というだけで生徒・選手はついては来ない! というわけだ。ではどうするか。緊張を強いることがない、先入観を持たない、選手を尊重する、そしてラポール(信頼関係)を築けるコーチ、「スタッフの潜在意識が、『このリーダーのために良い仕事をしたい!』」と思わせるようなコーチなることであると本書は説く。これを「サイレント・カリスマ」と本書では呼んでいる。われわれスポーツ・コーチにも、大いに参考になる内容である。

“たるんでいる”という指導者
 私が原稿執筆中の現在、ちょうどトリノオリンピック開催中である。残念ながら日本は、今のところ期待されていた通りの成績とは言えない。が、唯一私たちの期待に見事応えてくれたのが、女子フィギアスケートの荒川静香選手だ。フリー演技当日、どれほどの人々が彼女の演技を固唾を呑んで見守ったことか。そして、演技終了と同時に“やった!”と快哉を叫んだことか。この約4分間の静と動に、正直私は感動した。もちろん、感動したのはフィギアスケートだけではない。スピードスケートもモーグルも、そしてカーリングにも感動した。みんな全身全霊を傾けて自分と戦い、競技場に立ち、始まればひたすらゴールに向かう。その全過程に、私は感動した。だから、戦い終えた彼らには、肩をポン! と軽くたたいて、こう言ってやりたい。「僕らは、君の事を誇りに思っている」。
 しかし、世の中みんながみんな好意的とは限らない。残念なことだが、ある知事は某記者会見の席で、トリノオリンピックでの日本不振について感想を求められて「たるんでるんだよ」と言った。私は正直この発言には幻滅を感じる。何が“たるんでいる”のか理由が欲しい。理由もなく、なんとなく言ったのなら、そういう発言はご自分のご家庭でどうぞ。責任のある者が、責任のある発言を求められる場で言う言葉ではない。監督が選手に「お前らたるんでるから勝てないんだ」と同列。昔なら、選手は「はい!」の大合唱だが、今は違う。だから、こういう本が書店に並びはじめたのです。ご一読を、知事。ところで、あなたは夏季オリンピックを日本に招致したい意向もお持ちと聞きます。大丈夫ですか? もし失敗すると言われますよ、国民に。たるんでいるから、と。
(久米 秀作)

出版元:ヴォイス

(掲載日:2006-04-10)

タグ:組織論 チーム リーダー  
カテゴリ 指導
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究極の勝利
清宮 克幸

「荒ぶる」魂の復活
 早稲田ラクビー部、正式には「早稲田大学ラグビー蹴球部」と言う。本書は、ここの監督を平成13年度から昨年度まで5年連続で引き受け、その間対抗戦5連覇、大学選手権優勝3回、準優勝2回、さらに平成17年度の日本選手権では社会人トップリーグチームと互角に渡り合い、ベスト4まで駒を進めるという日本でもトップクラスのチームに早稲田を育て上げた男、清宮克幸の熱き指導哲学書である。
 清宮克幸の指導者としての船出は、しかし決して順風満帆とは行かなかった。「OB会は(監督に)清宮を推薦することでまとまったけど、今度は選手たちが納得しないんだよ」どうやら早稲田では監督は選手が最終的に決めるようで、このとき彼は選手から監督就任拒否の憂き目を見たのである。「自分を否定されたのは、私にとって始めての経験だった。(中略)だが、ショックを受けたわけではなかった。選手たちが考えていることがわかったからだ」。彼は、ここ10年間大学選手権の優勝はおろか対抗戦でさえ優勝できない母校の低迷の原因をこの時点ですでに看破していたのだ。
「私が監督に就任するまで、早稲田のラグビー部は、毎日長時間の練習をしていた。そして、選手たちは早稲田ラグビーのスタイルを必死になっても身につけようとしていた」。彼はこの“悪しき伝統”、つまり形ばかりを重視した中身のない練習をすべてやめることから指導を始める決意をする。「最初に早稲田の選手たちに接するあたり、いくつか考えなければならないことがあった。何しろ、彼らは私の監督就任を希望していなかったわけである」(中略)「そこで、(監督としての)所信表明は非常に大切だった。私は、初日のミーティングで選手の度肝を抜くようなプレゼンテーションをして、私に対する猜疑心を晴らしてやろうと考えた」。そして、彼は効果的なプレゼンテーションを演出するために「それまでの早稲田の戦術を徹底的に否定する手法」を実行する。さらに「早稲田の目的は、大学選手権優勝であることを明言し、一気にトップに登りつめようと提案したのだ。選手に拒否されたことが、私に火をつけた」。こうして早稲田ラグビー部の「荒ぶる」魂は、指導者清宮克幸の熱い呼び掛けによってその重い腰を少しずつ上げ始めるのである。

早稲田式エンパワーメント
 清宮は早稲田ラグビーの強みを「個の強さ(パワー)、スピード、精確さ、継続(ボールを持ち続ける)、独自性、こだわり、激しさ」に求めた。そのなかでも、とくに“激しさ”と“こだわり”については主将を中心とした選手側の双肩にかかっていると言う。早稲田ではその年のチームを主将の名をとって「○○組」という伝統があるようだ。つまり、監督は選手に対して独立した人格を認めているわけだが、言い換えれば早稲田は伝統的に監督が選手に対してエンパワーメント(権限委譲)する機能を持っているということである。このエンパワーメントとは組織の潜在能力を引き出し、活性化させるためのアメリカの企業経営の潮流を示す概念のひとつだ。たとえば最近の企業では、上司が部下にどのように権限委譲していくかが企業業績を伸ばすポイントと考えている。結局トップダウン式会社運営や少数の幹部しか会社の正しい情報を知りえない独裁体制は近代的企業経営に向かないのである。エンパワーメントを進めるには組織全員のビジョンの共有化、境界をなくすバウンダリーレス、能力を引き上げるワークアウトシステム等が不可欠だが、早稲田は伝統的にそのエンパワーメントシステムを持っているようだ。詳細は本書に譲るが、現在一流と言われる他のチームもおそらく早稲田と同じようなシステムを持っているのであろう。清宮は「コーチングの哲学」のなかで、選手にはビジョンを共有化させ、現状を分析させてゴールを設定させると、選手は自然と未来予測を始めて自分で動き出すと述べている。清宮克幸のコーチングは正しいと、私は思う。
(久米 秀作)

出版元:講談社

(掲載日:2006-06-10)

タグ:ラグビー 組織  
カテゴリ 指導
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君なら翔べる! 世界を魅了するトップスケーターたちの素顔
佐藤 信夫 佐藤 久美子

おもろい夫婦
 トリノオリンピックでの荒川静香選手の金メダル獲得の余韻が覚めやらぬ3月下旬、今度はカルガリーでフィギュアスケート世界選手権が行われた。この大会にはトリノ大会4位の村主章枝ほか、中野友加里、恩田美栄の三選手が出場。いずれも世界トップ水準の選手たちだけに、大会期間中は多くのファンが再び“金”メダル獲得への期待を膨らませた。
 ところで、フィギュアという種目はテレビで見ていると(評者はテレビでしか見たことがない)、画面には演技直前リンク上で選手がコーチとなにやら会話を交わしている姿が先ず映る。そして、演技が終了すると選手は審判団の採点結果を待つ席に移動するが、そこにもコーチがしっかり横に座っている。これほど、コーチが選手に密着するスポーツは他にないのではないか。だけに、自然とコーチの露出度も、本人の好き嫌いは別として、選手と同様に増えることになる。
 日本で言えば、この露出度が最も高いコーチが今回ご紹介する本書のお二人である。ご存じない方もいるようだが、お二人はれっきとしたご夫婦。ご主人の佐藤信夫氏は村主章枝選手のコーチとして、奥様の久美子氏は荒川静香選手のコーチとして、トリノ大会では大忙しなお二人であった。
 そのお二人が自分たちのコーチ歴を語ったのが本書。お二人それぞれが、自分自身のこと、娘の佐藤有香さん(1994年世界選手権優勝者、トリノ解説者)のこと、そして村主、荒川、中野各選手のコーチングのことを読みやすい文体で語っている。とくに最後の「スペシャル対談」(第7章)は一読する価値十分にあり。読めばわかるが、このお二人、相当に「おもろい夫婦」なのである。

荒川と村主
「まず村主章枝のことは(中略)やはり難しかったのは、ジャンプ指導です。(中略)変なことすると、全部ダメにしちゃうかもしれない……。そうなるともう、口がうごかないんですよ」「僕はいつも、村主章枝に言うんですよ。『あなたの意見も聞く』と。だけど、あなたも僕の意見を聞いてくれないと困るんだよ、と」そうやって、腫れ物に触るようにはじめたコーチングだが、「あの全日本の前、2001年熊本のNHK杯で彼女はつまずいて、二つあるオリンピックの出場枠のひとつを、そこで手に入れることが出来なかったんですね」このコンディショニング調整失敗のときには「それはそれはおこりましたよ」しかし、その後村主選手はオリンピック5位、長野の世界選手権3位とつなげていく。「長野でメダルをとれたときはね、村主章枝、すごいなって。もう、尊敬しちゃった」こんな信夫コーチの率直な人柄も、選手には魅力なのであろう。
 さて、一方の久美子コーチ。「まず(荒川)静香ちゃん、彼女のスケートは抜群に上手ですよ。わたしは世界一だと思っています」さすが、コーチ! この後、荒川選手は金メダルに輝くわけだが、「ただ、与える印象がまだまだ冷たい。(でも)笑えばいいというものではないんです。あの冷たさは冷たさとして、これからは、それを『凄み』に変えていくことを、私は彼女に求めたいなと思います」確かに、彼女には凛とした美しさがある。そしてトリノの大舞台では、その美しさの透明度がさらに増していた。その“凄み”に、会場全体が飲み込まれた結果が金メダルだったわけだ。
 最後にお二人は自分たちのことをこんな風に語っています。(久美子)「私たちが選手を作ってきたわけでもないんです。(中略)たまたま出会いがあって、今教えているだけだと思うんです。そこは勘違いしないでやってきたつもり」。(信夫)「そこを勘違いしていたら、きっとここまで来れなかったでしょうね」本書の中では平気でお互いの性格や考え方の違いを述べるお二人。でも、ここだけはしっかり一致しておりました。やっぱり、相当に「おもろい夫婦」なのであります。
(久米 秀作)

出版元:双葉社

(掲載日:2012-10-11)

タグ:フィギュアスケート 
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逆風満帆
朝日新聞be編集部

それぞれの事情
 人は、皆それぞれの事情でピンチを迎える。たとえば、スケートの岡崎朋美の場合はこうだ。「岡崎はその朝、ベッドから起き上がれなかった。腰から両足へ針で刺されたような激痛が走る。(中略)椎間板ヘルニアだった。緊急の手術を要した。腰にメスを入れることはアスリートの終焉を意味する。髪の毛一本の感覚の違いを氷上で追及するスケーターは、筋肉が回復しても末梢神経の切断のダメージははかりしれなかったからだ」。こういったケガはドクター、トレーナーの間では障害に分類される。突発的な事故によって起こる外傷と違い、慢性的な原因がこのケガを誘発しているからだ。一種の金属疲労と言ってよい。そして、この種のケガのいやらしさは、大抵の場合重要な試合を目の前にして起こることだ。ぎりぎりのところでの調整に、最も弱いところから悲鳴を上げていく。
 マラソンの高橋尚子の場合は、ピンチはケガだけではない。2000年シドニー五輪で優勝。しかし、続くアテネ五輪の選考からは漏れる。ここに彼女のピンチがありそうだが、実は違うと言う。「(女子マラソンでは)まだ誰もやったことがない2大会連続金メダルの目標はなくなってしまったけれど、大会は五輪だけではないし」と考えていたようだ。だが、「アテネでは野口みずきが金メダルを取った。高橋は日本女子2大会連続金メダルを喜んだ。そして自分も秋にマラソンを走るつもりだった。ところが9月、練習中に足首を骨折してしまう。それから1年以上もレースから遠のくことになる。逆風が吹き荒れる」。師匠である小出監督との考え方の微妙なズレ、マスコミの執拗な高橋限界説。あらゆる逆風の中、高橋は「小出からの独立は、勇気を振り絞った結論」を出す。

人間万事塞翁が馬
 こんな諺が思わず口から出てしまいそうな人生の波間を泳いだ人もいる。吉原知子2005年アテネ五輪女子バレー代表、主将。1988年に妹背牛商高から日立バレー部に入部した彼女は1994年「当時在籍していた日立バレー部の部長に呼ばれた。突然の解雇通知だった。(中略)『ほんとにエッという感じでした。優しい言葉もかけてもらえない。その日のうちに寮から出て行け、荷物はほかの選手がいないときにとりに来いって……』」。その後彼女は「人間不信でした。たたかれて、たたかれて、日本にいられない状態」でイタリアのプロリーグに飛び込む。しかし、1996年アトランタ五輪のメンバーとして再び日本からオファーが届きだす。「吉原は迷った。イタリア残留に気持ちが傾きかけたとき、チームメイトに説得された」。結局、1995年ダイエーで第二のバレー人生が始まる。吉原は再び急峻な人生の道を登り始める。しかし、1996年のアトランタ五輪は史上最低の9位に沈む。やはりここでも逆風に晒されることになる。さらに、これに追い討ちをかけたのが日本バレーボール協会が「若手主体」をお題目にとった年齢制限。彼女は「もう全日本は関係ない」と割り切る。ところが、再び人生は彼女を奮い起こす。「若手主体の全日本はシドニー五輪予選で敗退してしまう。史上初の屈辱だった。(中略)日本バレーは窮地に陥った。実力も人気も下降線をたどる。だが昨春、再建を託された柳本晶一監督から主将として全日本復帰を打診された。『何で今ごろ、私なの。ふざけないでよ』。初めは、反発する気持ちが強かった」。だが結局、「33歳、(再び)使命感が頭をもたげる」のだった。
「スポーツや芸能、文化の各分野の第一線で活躍し、成功をおさめている人たちは、どんな苦難や失敗があり、それをどのように克服してきたのか、直接、聞いてみよう」ということで始まった本書に収められている各々のインタビューは、「ほんとうに大きな困難を克服して今の地位に辿り着いた人たちは、実に冷静に自分を分析していました」という結論を導き出す。だがそれだけではないことに読者は気づくだろう。それは、苦難に勝ち、失敗を克服した人たちが結局今も同じ道を歩み続けている、という事実である。「継続は力なり」。この言葉を今一度強く噛み締めてみる必要を感じる。
(久米 秀作)

出版元:明治書院

(掲載日:2006-07-10)

タグ:インタビュー  
カテゴリ 人生
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持続力
山本 博

ひとりの父親として……
「父親が息子に残せるものは、いったいなんだろう」。2004年に開催されたアテネオリンピックで見事銀メダルに輝いたアーチェリーの山本博が、今一番心に宿している懸念はこのことだ。
「“的”は自分の心を映す鏡」だと、彼は言う。「標的に刺さった矢を見ると、その選手がどんなことを思いながら射ったかがわかる。(中略)私自身も的に刺さった矢を見ながら、自らの心と向き合ってきた。(中略)ときには『誇らしく』、ときには『怒り』、誰と殴り合うわけでもないのに、心が痛いほどつらくなった日も数えきれない」。
 山本の“矢”は、実は彼自身にも向けられて射られていたに違いない。「私のオリンピックにおけるアーチェリーの成績は、1984年のロサンゼルスオリンピックでの銅メダルを頂点に、以後、ソウルオリンピック8位、バルセロナオリンピック17位、アトランタオリンピック19位、そしてシドニーオリンピックは国内選考会で敗退するという、完全に“右肩下がり”の悲惨なものであった」。しかし、山本は“どん底の16年間”と呼ぶこの時期を越えて、再び4年後のアテネに照準を合わせて始動し始める。
「山本の時代はすでに終わっている」「何度挑戦してもダメなものはダメだ」という周囲の強烈なアゲインストを受けながら、山本はいったいこの時期何を考えていたのだろうか。「やる前から結果を考えてなにもしないなんて、そんな後ろ向きな人生でいいのであろうか」「成功や勝利が向こうから勝手に来てくれることなどないのだ。獲りに行った人だけが、勝ち取るチャンスを得られるのである」。教育者としての顔も持つ山本は、自分が日ごろ生徒に対して指導している内容からも学ぶものがあったという。「生徒たちは転び続ける中で、転び方を覚えていく。『受け身』が取れるようになるのだ。(中略)転んだら自分で起き上がる。当たり前のことを当たり前にするだけで、決して難しく考えてはいけない」。
 選手の前に教育者であり、教育者の前に父親である彼は、さらに父親である前にひとりの人間であるという、まことにシンプルな事実を愛する息子の前に正すことで、冒頭の“懸念”に答えようとしているように見える。

生涯一アーチャー
 山本は生涯一アーチャーでいたいと言う。「私は、生涯現役を貫き通すつもりでいる」という彼は、「本当の実力ではなく、二次的な力や過去の経緯、地位によって栄誉や役職を獲得している人たち」に強い嫌悪感を表明する。「アーチェリーという種目であるがゆえに、いくつになっても、選手としての力が公平明白に評価されるのだ。私は、その明白な自分自身の力量を日々、実感しながら生きていきたい」。
 山本がメディアで“中年の星”と呼ばれていることは多くの方がご存知であろう。若さの代名詞のような“スポーツ”分野にあって、40歳を超える男がいまだに世界のトップにいるという事実を日本流に解釈すると、実年齢的には“中年の星”ということになるのかもしれない。しかし今回本書を手にとってみて、私は実に新鮮な感動を覚えた。つまり彼、山本博の“中年”ではなく“少年”の部分に感動し、それを自分自身に置き換えたときに、自分の中にも“少年”の部分があることに気づかせてくれた彼の数々の言葉に、私は正直感動を覚えた。「強き敗者こそ真の勝者」、「なにもしない批判者より、失敗し続ける職人であれ」といった言葉などは、私が感動した言葉のほんの一部にしかすぎない。
「心に隙間ができたら終わりだ。つねに心に語りかける、『自分を見つめろ』と。(中略)私が戦っているのは、『だれか』でも『なにか』でもない。自分の心なのだ。その心に打ち克ったときに、自らの心に神が宿るのだ。五感に心揺さぶられずに自らを見つめ続けた心には、第六感なる、神から与えられた力が宿ることを知ることとなる」。長い引用をお許し願いたい。私が最も気に入っている部分なのである。
(久米 秀作)

出版元:講談社

(掲載日:2006-08-10)

タグ:アーチェリー メンタル  
カテゴリ 人生
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部活動指導者に贈る「指導心得83ヶ条」
土屋 幸一郎

心のバレー
「心のバレー」こと土屋幸一郎氏のことをご存知の方は、全国に大変多くいらっしゃることと思う。本書は、1992年に土屋氏が発刊した「心のバレー」の廃刊に伴い、続編として上梓されたものである。
 ここで改めて、著者土屋幸一郎氏のバレー指導者としての系譜を見てみよう。土屋氏は「教職について4年目の1971年に大栄町立大須賀中学バレー部の顧問に就任、『出ると負け』の状態から出発。1973年、地区大会優勝、県大会初出場。1975年、関東大会初出場」と破竹の勢いでチームを引っ張っていく。そして、「1976年には、千葉県大会初優勝を飾る」ことになる。以来「18年間の指導で、千葉県大会優勝10回・準優勝5回・3位3回」。ここまで読むと、とても恵まれた環境の下で著者は競技をされていたように勘違いしそうだが、実はむしろ劣悪とも言える環境の元で著者はこの栄光を手に入れたのである。「理屈は無用、情熱と信念で実績を作り、いっぱしの教祖様になれ。まねるな見るな独裁者たれ」。「アイデアは日常茶飯事の中にある。幼稚で単純・気楽・無責任な思考法が源泉」。これは、本書のタイトルにもある“83ヶ条”の条文の一部である。一見すると、やや宗教がかった言葉とも読み取れるが、解説を読んでいくと、これらが著者独特の経験哲学から生み出された言葉であることに気づく。たとえば“教祖様になれ”については、「指導者にカリスマ的な要素が必要だが、これは誰にも備わっているものではない。(中略)カリスマになれないまでも、近づきたいと思えば、子どもたちが納得するような結果を見通す目をもつことに努めることだ。(中略)これは『勘』ではなく『読み』で、実際には予言・透視力といった神懸かり的なものはないのだが、場合によっては神秘的な印象を与えることになる」といった具合である。評者もこういった“教祖”的発言は、確かに人やチームを導く力として必要だと思う。ある著名なマラソン指導者は選手に対してその日の大会のタイムをずばり予測し、選手を驚かせるとも聞く。これは決して著者の言うように指導者の超能力の成せる業ではない。毎日選手といると自然と見えてくる“風景”のようなものなのである。

褒めてやらねば、人は動かじ
 指導者と選手は、果たして何で結ばれているか。“心”? 本書のタイトルからしてみれば、こう結びたいところであるが、残念ながら違う。答えはコミュニケーションだ。ところが、このコミュニケーションが難しい。なぜなら、このコミュニケーションにはある性質が存在するからだ。それは、コミュニケーションをとろうとする二人が同時にしゃべることができないという性質だ。つまり、コミュニケーションをとろうとすると、片方は黙っていなくてはならない。スポーツの場合、この片方は多分ほとんど選手側であろう。つまり、指導者は選手をコミュニケーションによって拘束しているとも言える。“拘束”とは辞書的に解説すれば「相手の行動の自由を縛ること」である。指導者がする注意、指示すべてが選手を拘束する。こういった状況の中で、選手がのびのびと行動するためには、指導者自らが選手を拘束から解き放つようなコミュニケーションをとる必要がある。コミュニケーションとは、言語だけではない。非言語、つまり指導者自らの行動もまた立派なコミュニケーションである。選手に模範を示したり、一緒になってやることは選手を拘束せずにコミュニケーションをとる最良の方法なのかもしれない。「どんな子にも認められる言動(バレー技術には限らない)や、プレーはあるもので、『よし』と思ったら、即これを公表するか、見本を演じさせる」という著者も“褒める”というコミュニケーションで選手の拘束を解いているように見える。指導心得のひとつ「してみせて、言うて聞かせてさせてみて、褒めてやらねば人は動かじ」(山本五十六)の言葉を引用する著者の慧眼に敬服する。
(久米 秀作)

出版元:バレーボールアンリミテッド

(掲載日:2006-10-10)

タグ:バレーボール 指導 コーチング  
カテゴリ 指導
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イチローのメンタル ケータイでできる野球のメンタルトレーニング
豊田 一成

こころの「深み」
 人間は誰しも欲を持つ。たとえ幼児といえども欲を持っている。おなかがすいた、何か食べたい、眠りたい等がそれだ。アメリカ心理学会の会長を務めたこともあるアブラハム・マズロー(1908~70年)は、これらの欲求を生理的欲求と呼び、人間の最も根源的な欲求と位置づけた。そして彼が最も人間として価値が高く、最終的に追い求めるべき欲求と考えたのは「自己実現の欲求」である。マズローは、人間がその一生涯において、生まれながらに持っている生理的欲求や安全保障の欲求から徐々に社会的欲求を萌芽させることで自らを高めてゆき、最終的に「自分とは何か」の解答として自己実現の欲求を満足させるまでのプロセスを見事に説明してくれた。が、言い換えれば彼のこの試みは、人間のこころの「深み」を追求するプロセスであったと言える。そして、彼はこのプロセスを純粋理性としてではなく実践理性的テーマとして追求することこそが心理学に与えられた命題であると考えたのである。

ケータイ・トレーニング
 この言葉は私の造語である。今回ご紹介する本のサブタイトルに「ケータイでできる、野球のメンタルトレーニング」となっていたので、こんな造語が思いついたのである。それにしても、(スポーツ)トレーニングまで携帯電話とは。マズローさんも生きていたらさぞ驚かれたことでしょう。まさに、これは実践的かつ直接的なメンタルトレーニング・アプローチである。具体的にはどういうものかと言うと、本書の「Ⅱ章野球のメンタルトレーニングプログラム内容」のところに「QRコード」なるものが表示されていて、カメラ機能やバーコードリーダー、音声再生機能のある携帯電話でこのQRコードを読み取ると、今回のメンタルトレーニングサイトが表示され、実行できるようになっている。評者もQRコード読み取りに少々てこずりながら(笑)サイトに入ると、男性の声でこのメンタルトレーニングの概要が流れてきた。そして現在の自分の客観的な状況として心拍数の測定と進んでいくのであるが、全体的に少々時間がかかるのでパケット通信料金がかなり高額になりそうだ。そこで、本書中にも電話会社と毎月定額でかけ放題の契約を結ぶことが望ましいとの注意書きがある。それにしても、恐るべし携帯電話。評者は授業中に携帯電話をいじっている学生を注意したら「今、辞書で字を調べているところです!」って言われて恐縮した経験があるが、これからは練習中に携帯電話を使っている選手がいても、頭ごなしには注意できないなんてことあるのかな?
 著者は、今年の9月にメジャーで6年連続200本安打を記録したマリナーズのイチローのメンタルトレーニングを担当した経験を持つ。本書中にもイチローの自筆による、高校時代に書いた目標が掲載されているが、著者も指摘するように、イチローの特徴は普通の人間が目標とする“夢”のもう一歩先の夢を見据えているところにあるようだ。自己実現の方法は人によって様々だが、“心”をトレーニングすることでさらに一歩先を目指せるとしたら、信じてやってみる価値はあると思いませんか。

最後に
 皆さん、私の担当は今回で終わりです。足掛け5年、これまで約50冊の書評を書かせていただきました。書く側はいたって気楽。知らない本は読めるし、好きなことを勝手に書いてよいし、で大変楽しい経験でした。が、書かれた側の皆様はさぞかしお怒りでありましょう。確か、吉川英治氏の名著「宮本武蔵」の一節に「“墨を白紙に落とすが如く”人間のやったことは一生涯消えるものではない」というような件があったように記憶しております。この責任は、私、しっかり墓場まで持っていく覚悟ですので、何卒ご容赦のほどを。では皆さん、また何処かで。
(久米 秀作)

出版元:アイオーエム

(掲載日:2006-11-10)

タグ:メンタル トレーニング  
カテゴリ メンタル
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死の臨床格闘学
香山 リカ

Dead Man Wrestling
─そして、静かにレクイエムが始まった

 1999年4月17日。日本プロレス界の巨星ジャイアント馬場のお別れ会に献花を添えるため、東京九段の北の丸公園を訪れた著者香山リカ。ここから物語は始まる。そして、彼女は静かにこの忘れられぬ巨人(ひと)に向かってレクイエムを口ずさみ始めたのだ。
 テレビ放送が始まったのは昭和28年。この年の8月28日に日本テレビが民間第1号として本放送を開始している。ちなみにテレビコマーシャル第1号は「精工舎(現セイコー)の時計が正午をお知らせします」という30秒ものであった。そして、奇しくもその約1カ月前に力道山が日本プロレスリング協会を結成している。この両者の奇妙な符合が、その後テレビの普及とともにプロレスの隆盛を約束していく。まさにメディアの力によってプロレスは日本社会に大きな影響力を持ち始めたのである。しかしこのときからすでに彼女には、約半世紀後に日本のプロレスリングに向かってレクイエムを口ずさむ運命が背負わされていたのかもしれない。

プロレスという名の「身体論」
─たとえば、身体と精神の乖離について

 プロレスにはもちろん観客が欠かせない。ではなぜ観客はリングに足を運ぶのか。筆者はこれについて次のように語る。
「レスラーに感情移入するだけでは、自分の身体の実感を強め、“自分が存在している”という感覚を確実に手に入れることができないのだ。そうするために、全試合終わったあとに、今度は自分が手が痛くなるほどエプロンを叩き顔に水滴を浴びて、“これが私だ!”という実感を自らの感覚として確認する必要がある」
 現代社会では日常が極めて希薄な感覚認識の領域になり下がり、その結果、人々は自分の立っている場所の脆弱さに恐怖し始める。そして、自らの身体感覚さえも失い、幽体離脱的感覚に悩まされる。つまり、身体と精神の乖離が始まり、その溝は日増しに深くなっていくのである。その身体と精神の溝を埋めるために、ある者はリストカットや自傷行為によって辛うじて身体に精神が宿る感覚を維持し、ある者はレスラーと同じ痛みを得ることによって維持しようとしているのではないか。これはまさに、筆者の言うところの「自分と世界との境界を実感するために、あたかも身体の輪郭をなぞるがごとく」の行為そのものなのである。

二項対立的プロレス考
─もしくは、生と死の境目の問題

 現在日本のプロレス界には40もの団体が存在する。その中でもっともメジャーな団体は、いわずもがな新日本プロレスと全日本プロレスである。この両者とも源流は前述した日本プロレスであるが、1972年2月にアントニオ猪木が新日本を旗揚げし、ついで10月ジャイアント馬場が全日本プロレスを旗揚げすることによって完全に両者は袂を分かつことになる。筆者によれば、その後馬場率いる全日本プロレスは王道中の王道的プロレスを頑なに守ろうとするが、時代の潮流はそれを許しはしなかった。時代は元全日本プロレス所属で後にFMWという新団体(後に倒産)を設立した大仁田厚のような涙あり怒りありマイクパフォーマンスありのタレントレスラーの出現を望んだのだ。この怒涛のような群雄割拠の時代を迎えて、馬場のレスリングが急速に色褪せ始める。と同時に、これは馬場プロレスの“死”が近いことを意味していた。プロレス本来の二項対立の構造、つまり敵と味方、善玉と悪玉、生と死の屹立といった構造から馬場は剥離していく。今後も、似たような剥離は延々と続いていくことだろう。そして、また新たな皮膚を持つ時代の寵児が次から次へとリングに上がってくるに違いない。プロレスラーの生死の境目はリングにあるのか。だとすれば多分、リングを降りる度にプロレスラーは死を予感するのではないだろうか。そんな感慨が読後に残った。

(久米 秀作)

出版元:青土社

(掲載日:2002-08-10)

タグ:プロレス 
カテゴリ その他
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スポーツイベントの経済学 メガイベントとホームチームが都市を変える
原田 宗彦

「キャタリスト」(触媒)としてのスポーツイベント

 本書のサブタイトルには、「メガイベントとホームチームが年を変える」とある。つまり、タイトルとサブタイトルを読む限り、本書はスポーツイベントが持つ経済的インパクトで新たな都市構築が可能なことを示唆しているように読める。
 確かに、本書の前半は古代ギリシャ、ローマ時代から現代にまで綿々と続くスポーツと都市構築の深い関わりについて詳しい。たとえば、著者は「ローマ時代のスポーツイベント」は、皇帝の威光を示し、娯楽としてのスポーツと政治的対話の場を提供するという性格を持っていた。しかし、現代のスポーツイベントには“経済効果”や“都市開発”といった新しいキーワードが付随している」と述べ、「すなわちイベントによって都市の知名度を高め、多くのスポーツ・ツーリストを呼び込んで消費を活性化し、スタジアムやアリーナの建設によって都市インフラを整備する「キャタリスト」(触媒)としての効果が期待されている」と言う。


「レガシー」(遺産)としてのスポーツイベント

 しかし、本書が言うように、現代においてスポーツイベントの誘致はあらゆる面で果たして特効薬となり得るのか。今の日本経済沈滞もスポーツメガイベント誘致で一発解消となるのだろうか。
 未だ日韓両国で行われたW杯の記憶は新しい。どの試合にも一喜一憂した感動は今も忘れがたい経験である。今までに多くの日本人が感動したメガイベントと言えばオリンピックくらいであったが、それをはるかに凌ぐ勢いでW杯は我々を感動の渦の中へと引き込んでいった。改めてスポーツの持つ魅力を認識した方も多かったのではないだろうか。
 では、W杯が日本に残した効果は何だったのであろうか。残念ながら、本書はW杯開催中に発刊されたようなので、その辺の検証はされていないが、私の拙い情報収集力だけに頼って言えば、あまり日本を再生させるような経済的インパクトはなかったように思える。しかし、本書にはこんなことも書かれている。「メガスポーツイベントの開催で重要なことは、短期的な経済波及効果だけでなく、都市経営の視点からイベントのレガシー(遺産)をどのように有効に活用し、長期的な利益を都市にもたらすかという新しい視点である」
 ある新聞にW杯に関するアンケート結果が出ていたが、一番国民が感じたことは共催国・韓国に対する認識だという。好感が持てるようになったというのである。ということは、韓国の、あるいは世界の日本に対する認識も変わったのかもしれない。これは誠に大きなレガシーではないか。もし、今回のW杯開催によって新たな日本のイメージが世界に発信されたとするならば、著者が言うように単なる短期的な経済効果に留まらない効果を生む下地ができたと言っても過言ではない。決算はまだ早いということか。
 このほかに、本書には都市活性のためのインフラとしてスポーツをどのように活かすか、スポーツの視点から見た都市再生論など傾聴に値する内容も豊富だ。スポーツの専門家のみならず都市デザイン、地域振興などに携わる関係者の方々に是非一読をお勧めする。







(久米 秀作)

出版元:平凡社

(掲載日:2002-09-10)

タグ:スポーツビジネス 
カテゴリ その他
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Change! みんなのスポーツ
みんなのスポーツ全国研究会

Change!
 1979年5月に、粂野豊先生(仙台大学名誉学長)の指導の下創刊された月刊「みんなのスポーツ」は、スポーツが社会的機能を有する文化であることを理論的ベースにして、いち早く市民による市民のためのスポーツ振興を訴えた月刊誌である。現在は、全国体育指導委員連合の機関紙として親しまれているが、その内容を支えたのは「みんなのスポーツ全国研究会」で発表された研究結果であったという。そして、この研究会のメンバーが中心となって最初に刊行されたのが「みんなのスポーツQ&A」(1985年)であった。
 今回刊行のはこびとなった「Change! みんなのスポーツ」は、「そして(研究会立ち上げから)20余年後の今、また1つの研究会の節目として、変わりゆく現代社会における市民スポーツ・地域スポーツへの指針を会員の総力をあげて打ち出したいとの総意から」企画された、いわば続編である。しかし、タイトルがやさしいからといって内容もそうかというと、なかなかこれが読み応えのある内容に仕上がっている。

何が足りないのか
 本書の前半はオムニバス形式で、現在の日本のスポーツが何から何にChangeしなければいけないのか、執筆者各々が乾坤一擲、各テーマに対し正面から取り組んでいる。
 本書で一貫して取り上げられているテーマは、「今日本のスポーツに足りないものは何か」であって、それを補うことがChangeに繋がるというのである。たとえば、執筆者のひとりは、指導者が足りないと説く。「日本のスポーツ集団は、指導者不在で簡単になくなってしまう。学校運動部がそのよい例で、熱心に指導する顧問教諭が転勤すれば、たちまち運動部はつぶれてしまう……」これは、一般のスポーツ愛好会やサークルでも同じことが言えるという。そこで、他の執筆者は、これからの指導者には指導型から支援型への意識変革が求められていることを行政担当者も認識する必要があるとしながら「スポーツ指導者の知識・技能審査事業の文部科学大臣認定制度」による認定指導資格取得者の確保をしようと提案している。また、「民間活用」が足りないと説く執筆者もいる。そこでは、公共施設の維持管理や事業運営を民間事業者に委託する、いわゆるPFI(公設民営)方式の推進を訴えている。そのためには、行政と民間の連絡協議会の設立を、という提案は傾聴に値する。

自立しよう
 結局、本書のねらいは市民スポーツ、もしくは組織としての地域スポーツの創出であって、具体的には「総合型地域スポーツクラブ」の設立に向けた理論構築であると思う。あらゆる年齢の人々が、自らが選んだスポーツを、所属するクラブで好きな時間に楽しむ。すでにヨーロッパに存在するこの組織を日本にも定着させようという試みが、近年盛り上がりを見せている。しかし、日本のスポーツは明治以来、学校や職場を中心に振興が図られ、仕事への意欲喚起装置としての役割が長かった。ヨーロッパのように日常生活の必需品としてスポーツが存在するのとはだいぶ訳が違う。この差を埋めるには、まだまだ長い時間を必要としそうだが、なによりもクラブの主体である参加者、あるいは国民の意識の変革が必要なのではないか。今まで行政主導でやっていたものを住民主導にする。もちろん財政的自立も視野に入れ、クラブ運営も自らが行う。こういった自立ができて、初めて“みんなのスポーツ”と言えるのではないか、こんな提案も本書に含まれている。スポーツを愛するすべての人々に読んでいただきたい、まじめな一冊である。






(久米 秀作)

出版元:不昧堂出版

(掲載日:2003-02-10)

タグ:スポーツのあり方 
カテゴリ その他
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武蔵とイチロー
高岡 英夫

天才の世界
 湯川秀樹という方を皆さんは覚えておられるだろうか。1949年に日本人初のノーベル賞受賞者となった物理学者である。その彼が、晩年になって出した本の中に『天才の世界』というのがある。これは、古今東西の歴史に残る偉業を成し遂げた人々、いわゆる天才と言われた人々の創造性の秘密を解明しようという意図の下に書かれた書物である。彼は、この本の「はじめに」の中で天才について次のように述べている。「(天才に)共通するのは、生涯のある時期に、やや異常な精神状態となったことであろうと思われる。それは外から見て異常かどうかということでなく、当人の集中的な努力が異常なまで強烈となり、それがある時期、持続されたという点が重要なのである」
 では、今回の主人公のひとり、武蔵は天才か。私が知っている武蔵は、小説家吉川英治氏が描いた武蔵のみであるが、これを読んだ限りでは、どちらかといって愚直なまでの努力家タイプに思える。むしろ、彼と巌流島で決闘した佐々木小次郎のほうが天才タイプでなかったか。しかし、前述した湯川氏の天才論で言えば、異常なまでに強烈に剣術を持続して磨いたという点では、間違いなく武蔵は天才だ。
 もうひとりの主人公イチローはどうか。これには誰もが天才と口を揃えるだろうが、ではなぜ? おそらく、皆イチローのセオリーを無視したようなバッティングフォームとその結果を見て、いわゆる天才肌的なものを覚えるからであろう。しかし、ここでも湯川論に従えば「外からみて異常かどうか」が天才の判断基準になるのではない。あくまでも異常なまでに強烈な集中力がイチローには見て取れるところに彼の天才たる所以があると、この著者は見たようだ。

ユルユルとトロー
 著者がこの二人に共通して着目したものに「脱力」がある。著者は、まず武蔵については、彼の肖像画から類推して、彼の剣を構えたときの身体には無駄な力が入っていないと指摘する。しかし、その脱力はフニャフニャしたものではなく、トローとした漆のような粘性を持った脱力だと言う。武蔵が残した有名な書物に『五輪書』があるが、この中で武蔵は「漆膠(しっこう)の身」ということを書いていると言う。そして、「漆膠とは相手に身を密着させて離れないこと」だとも書いていると言う。つまり、相手の動きに粘り強く着いていくには、トローとした脱力が必要だと言うわけである。これはイチローにも当てはまる。本来、バッティングとは投手が投げてくる球に対して自分のヒッティングポジションが合致すれば、クリーンに打ち抜けるものだ。したがって、投手は打者の得意なヒッティングポジションに球が行かないように、球種を変えコースを変えてくるのである。しかし、イチローはトローと脱力した身体で、あらゆるコースの球に密着してくる。だから、イチローには特に待っているコースもなければ決まったヒッティングポジションも存在しないと言うわけである。

天才と凡人の違い
 私は、今回この本を読んでいて、どうも近年のスポーツ科学者は、私も含めて客観的事実というマジックにとらわれすぎたようだ、という反省を覚えた。客観的事実の積み重ねの上に真実が現れるという科学的分析手法は、誰もが理解し納得いくという点では優れた手法であることは認める。しかし、簡単に言ってこの手法で明らかになるのは、大方が同じ結果になるから真実だという結論にすぎない。果たして、それは真実なのか。大方とは違う結論の中にも真実はないか。データでは見えてこない真実。ここを見て取れるか否かが天才と凡人の違いではないか。特に、指導者には耳を傾けていただきたい。「日本スポーツ天才学会」や「日本スポーツ異端児の会」などあってもよくないか。
 最後に、再び湯川氏の天才論をご紹介したい。「──、私たちは天才と呼ばれる人たちを他の人たちから隔絶した存在と思っていない。(中略)ほとんどの人が、もともと何かの形で創造性を発現できる(つまり天才的)可能性を秘めていると考える」


(久米 秀作)

出版元:小学館

(掲載日:2003-03-10)

タグ:指導 
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日本はライバルか コリアンアスリートからのメッセージ
山田 ゆかり

民族とは何か
 このところの世界情勢をつかむためには、「民族」というキーワードが外せなくなった。スポーツの世界においても、競技成績を左右する身体的特徴に代表される人種以外に、慣習的、風土敵、さらに政治学的意味合いを色濃く含む「民族」という言葉の理解が必要となってきている。
 民族とは何かという答えを見つけることは容易ではないが、民族の違いを考える基準を示すことはできる。たとえば、先に述べた人種や使用している言語、宗教や文化がそれである。これらの違いが、たとえ地理的には隣接していても、ある意味で民族の違いを意識させる決定因子になることは確かなことである。
 この点、日本は島国という特殊な地理的環境を持つため、歴史的に自分と他者との違いを特別意識する必要がなかった。つまり、人種的にも、言語的にも、さらに宗教においてもほぼ単一の、いわゆる国家を形成する集団(ネーション)と文化を共有する集団(エトノス)がほぼ重なり合うという特殊な歴史を日本は続けてきたわけだ。このため、日本人の「民族」に対する意識はあまり強くない。
 ところが、最近日本ではこの「民族」あるいは「民族的アイデンティティー」という言葉が積極的に使われ始めてきているように思う。多分、2002年の日韓共催ワールドカップ大会あたりからではないだろうか。他国の選手やサポーターが強烈な民族性を全面に押し出してきたことに、大半の日本人は驚いてしまった。もちろん最初に「民族」の問題がクローズアップされたのは、言うまでもなく米ソ冷戦終了後の共産主義体制の崩壊に端を発する東欧諸国の民族意識の噴出からであるが、こういった世界事情も、多少不謹慎な発言をさせていただければ、日本人にとっては単なる対岸の火事にすぎなかったのである。
 しかし、ワールドカップは違った。他国民の「民族」というイデオロギーに裏付けられたゲームへのこだわりや勝負へのこだわり方は、日本人にはちょっと理解の度を越えたスポーツへの関わり方として映った。そして、その斬新なスポーツへの関わり方は、結局平和的意味での「愛国心」という日本人が忘れかけていた日本人のアイデンティティーを蘇らせる結果となったのである。

近くて遠い国
 ワールドカップでは結局日本と韓国の直接対決は叶わなかったが、両国は間違いなく今後もライバル関係を続けるだろう。では、他の種目においてはどうか? この問いに答えてくれるのが本書である。本書には、サッカーだけではなく、マラソン、ホッケー、スケート、野球、ゴルフそしてテコンドー、障害者スポーツに至るまで、幅広い種目におけるライバル一人一人にインタビューがされている。お互いに名指しでライバルと呼びあう選手たち。それぞれの国へのあこがれとライバル心が混在する選手。韓国が日本に持つ歴史的な感情を率直に述べる選手。日本生まれの韓国選手。
 老若男女、様々な環境に育った選手達へのインタビューを通して、いかに両者が近くて遠い国の存在なのかが明らかになっていく。と同時に、本書に登場する選手たちの、特に韓国選手たちの民族意識の高さに驚かされる。科学的トレーニング理論や技術論では説明つかない「民族の血」による“心理的限界”がこれからのスポーツの理解には欠かせないのではないかということにも本書は気づかせてくれる。本書は、今後日本人選手が海外で活躍したり、国際競技力を向上させるためのヒントを示していると言ってよい。
 著者が最後に言っている。「日本と韓国の関係を線に喩えるなら、決して交わることのない平行線のようなものだ」と。どうやら、両国は永遠のライバルのようだ。

(久米 秀作)

出版元:教育史料出版会

(掲載日:2003-04-10)

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現代スポーツ社会学序説
海老原 修

 歌は世につれ世は歌につれと言いますが、歌だけでなく言葉も世につれ人につれ変わっていいと思うわけです。なぜ、こんな奥歯にものが挟まったような言い方から始めるのかというと、本章のタイトルが小生には少々合点がいかないからであります。
 たとえば、本書には力道山が出てきます。力道山と言えば日本のプロレスの生みの親であります。この力道山が、敗戦に打ちひしがれた日本国民に与えたインパクトは計り知れないということは周知の事実ですが、実は、本書では「GHQマーカっと少将、法務局フランクリン・スコリノフといったキーパーソン、彼らが(力道山のような)日本人選手を探していたことなどを考え併せるとき、プロレスが政治的な判断を伴なう文化統制であったという仮説が頭を離れない」という米国による恣意的なお膳立ての上で力道山は暴れ、わが日本国民もまんまとその意図にはまった可能性が強いことを示唆しています。
 こうなると、もうスポーツが社会に与えた影響というような可愛らしいお話では済まない訳で、いわばスポーツを手段とした国民の思想コントロール、あるいは戦勝国による敗戦国の洗脳であると思うわけであります。こんな過激な仮説を本書は随所に配置しながら、タイトルは「現代スポーツ社会学序説」という、まるで狼が赤頭巾ちゃんの洋服を着ておばあさんの家のドアを叩いているような違和感、矛盾感を持たざるを得ないわけです。
 サブタイトルに「日本的文脈とイメージの逸脱者中田英寿」と付けた論文もあります。この中で著者は「学校体育や企業スポーツを基盤とする日本のスポーツは、教育や福利厚生、あるいはそれぞれの組織共同体の維持といった文脈が付与されている」とし「ゲームより練習が重視され、競争よりも健康に価値観がおかれるように、スポーツの“社会的文脈”よりも“身体運動の物理的形式”に(スポーツの)イメージが偏る傾向」を日本の今までのスポーツに対して指摘したうえで、プロサッカー選手中田英寿は“日本的文脈からの逸脱者”であるとしています。これはこれで非常に興味深い結論なのですが、中田英寿が現代の若者に対して非常なカリスマ性を持っているという著者の指摘の延長線上には、スポーツ選手に限らず、日本的文脈から逸脱する若者が続々とこれから生まれるという推論とこれからの日本人気質の変化についても視野に入れた議論があっていいのではないかと思うのです。つまり、この中田英寿の日本逸脱ぶりを検証するという作業は、きわめて近い将来の若者論、あるいは日本人論へと話が思い切って拡散していいと思うわけであります。それだけの筆力を十分にこの筆者は備えていると見たとき、これほどまでに広がりを予感させる議論の萌芽を用意しておきながら、本書が“スポーツ社会学”という枠組みの中だけで議論を終える窮屈さや、あるいはタイトルに興味を持たない人々にはこれらの先鋭的低減が目に届かない無念さを小生は感じてしまうのであります。
 多分、これはもう現代社会においてすでにスポーツと社会を明確に分離できないことを意味している証拠だと思います。元来、“スポーツ社会学”なる言葉は社会におけるスポーツという分離が可能な時代の造語にすぎません。スポーツが、まだまだ市民権を得ていなかった時代の一般向け造語だと思います。
 歌は世につれ、世は歌につれ。専門家の皆さん、“スポーツ社会学”から“逸脱”する気はありませんか?

(久米 秀作)

出版元:杏林書院

(掲載日:2003-05-10)

タグ:社会学  
カテゴリ スポーツ社会学
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カシタス湖の戦い エクセレンスを求めた一人の男の物語
Brad Alan Lewis 榊原 章浩

誰も俺たちに勝てない!
「午前5時30分、気温摂氏3度、強い南風の吹く中、我々は艇とオールを抱えて湖の方へと急いだ。我々が呼ぶところのカシタス湖の戦いが今始まったのだ。」
 主人公のブラッド・アラン・ルイスはカルフォルニア生まれのスカラー(漕手)だ。彼は数々の世界選手権に出場するが成績はぱっとせず、ようやく1980年モスクワオリンピック大会クォドルプル代表の座を勝ち取ったが「大統領ジミー・カーターが、80年モスクワ大会のボイコットという許しがたい決定」を下したため、ついにオリンピック出場も叶わなかった男である。しかし、彼は不屈の精神とほんのちょっとのユーモアによって、1984年ロサンゼルスで開催が予定されているオリンピックに出ることに照準を合わせた。それも、なんと全米1位のスカラーにしか与えられない“シングルスカル”というたった1つの代表の椅子に。これは、もうユーモアの域を超えている。しかし、彼に言わせればこれこそ「ブラッド・ルイス流の大冒険」の始まりだと言うわけだ。その第一歩として、オリンピック会場となるカシタス湖でのローイングを選んだのである。ただし、パトロールにみつからないようにだ。
 冒険には必ず好敵手というものが存在する。彼の場合は、オリンピック・スカル・チーム・コーチのハリー・パーカーである。ハリーは「最強の鎧も突き刺すことのできる魔法使い」のような人物で、全米漕艇界の伝説的人物である。彼は「手堅く、折り紙つきの信頼できる選手」を好んだ。ところが、ブラッド・ルイスはと言えば「容器で、風変わりで、あまりにウエスト・コースト的」。つまり、単に二人は趣味が合わないということなのだ。
 そして、もう一人忘れてはいけない人物は通称「ビギー」と呼ばれているジョン・ビグロー。彼はハリー軍団の一員で「彼の遠く見つめるような目つきは、何かとても大切なことをこれから言おうとしているかのような印象を与えるが、そのほとんどが期待はずれな」男であるが、ブラッド・ルイスのシングル・スカルの強敵となる男でもある。

スポーツ・ファンタジー・ノベル
 日本では、気合、根性、努力、汗、涙など人間が究極の選択を迫られたとき必要なありとあらゆる生理的現象を中心に語られがちなスポーツ・ノベル。「スポ根モノ」なんて言葉があるが、日本人って、もしかしてサド・マゾ的嗜好が強いのかな?
 閑話休題。しかし、本書は今ご紹介したとおり、全篇ペーソスとユーモアにあふれ、時には鋭く、時にはゆったりとした旋律でストーリーを紡いでゆく。そして、息つく暇もないハラハラ、ドキドキの試合展開。まさに、著者が優れたスカラーであると同時に優れたストーリーテラーであることを十分に証明した作品だ。本書はまさにファンタジー、スポーツ・ファンタジー・ノベルなのである。そして、このファンタジーの結びとなる「エピローグ(パズルの完成)」がこれまた絶品。もうこんだけ褒めたら、褒めるとこないやろうといわれそうだが、堪忍な! ここまできたらもう一つ褒めさせてください。それはこの作品の豊かな感性と香りを失うことなく日本語に訳することに成功した訳者。貴方に、僕は最後の乾杯を贈りたい。

(久米 秀作)

出版元:東北大学出版会

(掲載日:2003-07-10)

タグ:ボート 
カテゴリ 人生
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勝利のチームメイク
岡田 武史 古田 敦也 平尾 誠二

すべては疑うことから始まる
 私は、最近つくづく自分が疑り深い性格の持ち主であることに気づいたのであります。それを知るきっかけとなったのが今回ご紹介するこの本です。私の深い、深い疑問は編集担当者からこの本をいただいたときに端を発しています。
 本は岡田武史・サッカー元全日本監督(現在横浜F・マリノス監督)と平尾誠二・ラグビー元日本代表監督、そして古田敦也・プロ野球ヤクルトスワローズ捕手ら三氏の対談を収録したものなのです。日本で人気のあるスポーツの、それも過去に代表監督を経験していたり、現在日本の代表的選手である三氏が「勝利」をテーマに対談して何が悪いのかと読者の皆さんは思われるでしょう。でも、私は疑り深くこう考えてしまうのです。「監督、選手と立場も違う三氏が対談して、話がかみ合うわけ?」。そして、私はまたまた「なぜこの本の出版社が日本経済新聞社なわけ?」と疑ってしまうわけなのです。つまりこの本の出版元の意図は、チームを管理することに長けた三氏を会社の管理職になぞらえ、スポーツにおける勝利を会社の利潤になぞらえて、こんな風に三氏にならって部下を管理してみてはどうでしょうか、と言いたいのかなと疑るわけであります。もう、ここまでくると病気だと本人も気づいているわけですが……。

勝利のためのチームメイクとは
 もし私と同じように疑り、会社の部下の操縦法を期待して本書を手に取る読者がおられるならば、やめておいたほうがよいと思います。本書の中に収録されている対談の内容は、我々のようなスポーツを専門とし、日々選手と過ごしている者にとっては大変興味深い内容だからです。たとえば平尾氏は「チームワークは勝ったチームに[結果]として現れるものだ」と言っているし、個々の自立があって初めてチームプレーが成立すると言っています。また、岡田氏は「チームメイクとは選手の長所を利用させてもらうこと」と言っています。彼は「選手の邪魔をしないようにするのが指導者なのだ」とも言っております。そして、古田選手は「勝つためには捕手はなるべく、監督やコーチ、投手とのコミュニケーションをとるように心がけて」、さらに監督が要求している内容を理解し、その投手が持っている性格や投球哲学を理解して「それぞれの投手の力が最大限発揮できるようなリードを自分なりに考えていきます」と述べています。ぜひ、スポーツを専門としている人々、とくに指導者には読んでもらいたい内容が満載ですね。
 えっ、平尾氏の言っていることは、基本的に会社を成り立たせている社員のあり方を考えるうえで参考になる? 岡田氏の意見は、部下をいかにうまく動かし、活かすかに通じるところがある? さらに古田選手の意見は中間管理職としてのスタンスを決めるのにはよいアドバイス? ということは、読み手によってはスポーツ場面だけでなく、いろいろな方面で彼ら三氏の対談内容は応用可能ってことですか? うーん、どうやら出版元の意図にまんまと乗ったのかな? また、疑り深い性格が頭をもたげてきたようです。

(久米 秀作)

出版元:日本経済新聞出版

(掲載日:2003-09-10)

タグ:コーチング 
カテゴリ 指導
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黒人アスリートはなぜ強いのか その身体の秘密と苦闘の歴史に迫る
ジョン エンタイン 星野 裕一

TABOO
 まずこの書評を読んでくださっている読者には、本書の日本語タイトルが必ずしも内容を十分かつ正確に反映していないと申し上げたい。本書の原文タイトルは、直訳すると「タブー:なぜ黒人はスポーツ界を席巻しているのか、そしてわれわれはそれについて検証することをなぜ恐れているのか」である。あえてここで原文タイトルの直訳を紹介する理由は、おそらく日本語タイトルのみからでは、読者が持つ本書への印象が「なぜ黒人がスポーツに秀でているかって? そりゃあ筋肉の質が違うからじゃないの? 彼らの育った環境が劣悪なためにハングリー精神が強いからじゃないの?」程度で終わってしまうのではという器具を持つからである。しかし、読後はこういった短絡的な印象を持ったことを恥ずかしいと思わせるだけの重みと深みを、本書が持つことに気づかされる。本書は単なる黒人の身体的優位性を検証しているのではない。人種差別という未だ解決を見ない社会問題をスポーツという舞台装置を使って検証しているのだ。本書は、先天的素質や社会環境だけに答えを求めた黒人への評価はステレオタイプな人種差別だと断罪する。さらに、黒人は白人に比べて身体は屈強だがIQ(知能)は低いといったステレオタイプな人種差別もこういった軽薄な人種理解から生まれるとも指摘する。そして、この結果「ポジション・スタッキング」と呼ばれる人種差別が生まれているというのである。つまり、黒人は知的な作業は得意としないとか、経営的センスは持ち合わせないといった理不尽な理由によって、不当に職業(ポジション)の選択肢を狭窄されているというのである。

もうひとつの差別問題
 今一度タイトルに戻ろう。直訳タイトルの後半には「(こういった差別問題について)検証することをなぜ恐れているのか」となっている。本来のタイトル「TABOO」は多分ここから出たものであろう。本書によれば、差別問題をテーマにすることは、人種主義者あるいは人種差別擁護者というレッテルを貼られる危険性と背中合わせだと言う。何十年もの間スポーツ界で人気と信頼を得てきた人物が人種差別について口にしたとたん、たとえ本人はある部分率直に黒人評を述べたとしても、2日でその職を失うと言う。つまり、差別発言を行ったとされる人物は社会的に葬られる結果、この種の発言はタブーという逆差別も生み出しているというのである。これは米国社会全体に健全な民主主義が育っている証拠という見方もできなくはないが、純粋な人種に対する科学的議論さえもタブー視する現在の社会傾向に、著者は困惑の色を隠せないと言う。
 この原稿を書いている間にも米国では黒人差別撤廃を訴えた大規模な集会が、故キング牧師の子息を中心にワシントンで開かれたと報道されていた。一方、パリでは陸上の世界選手権が開催されており、予想通り短距離、長距離ともにカラードの活躍が目立つ。この二つの暗と明を社会は今後どう受け入れていくのか、わが日本も知らぬでは済まされまい。
 ところで今回は最後までタイトルにこだわるが、表紙にある英文タイトルの中の「Black」のスペルが「Brack」となっているが、ミスプリントでは? やはり、日本人は「Black(黒人)」を理解していないと言われないように是非注意していただきたいものである。

(久米 秀作)

出版元:創元社

(掲載日:2003-10-10)

タグ:人種差別 
カテゴリ 身体
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現場の疑問にきちんと答える 子どものスポーツ医学入門
ライフサポート協会 大島 扶美

いまどきの子ども、いまどきの親
 最近の子どもの体格には目を見張るものがある。近所を歩いていても大人顔負けの体格を持つ子どもに出会うことが多い。実感として子どもの体格がよくなったと感じる。そんなときは「いまどきの子はみんな大きいね」などと言ってみたりする。しかし、こと基礎体力の話になると、「全くいまどきの子は体力がなくてダメね」とか「昔よりからだを動かさなくなったからじゃないか」と言っている人が多い。
 器は大きくなったが、中身が整わない。すでに世間的に定説となりつつあるこの問題は、発育・発達期のお子さんのいるご家庭にとって重大な意味を持つ。なぜなら、発育・発達期の心身にどんな刺激を与えるかは、その子の将来にとっていろいろな意味で重要な鍵になることを、いまどきの親はしっかり認識しているからである。そこで、ひとつの回答としてスポーツが選択される。しかし、この時点で親たちはスポーツさえしていれば子どもたちが間違いなく健やかに成長すると安心したわけではない。質の問題、つまりいかにスポーツを指導してくれるのかによって大きく結果が違ってくることも十分承知だからである。
 だから最近の親は昔のように、子どもたちに「ともかく外へ行って遊んで来い」とは言わない。どうせ行くなら正しく指導するところに行きなさいと言う。これはこれで決して悪いことではない。問題は、スポーツを指導する側にある。指導する側がいつまでも「理由はともかく、いいから走れ」ではいまどきの子どもも親も走らない。「多少痛くても練習は休むな」も同様にいまどきの子どもと親には説得力に欠ける。つまり「なぜそういう指導になるのか?」に答える必要が近年顕著になっていることに指導者は早く気がつくべきだ。親たちはとっくに気づいていて、そういう指導者が少ないことにちょっぴり不満だ。では、これに気がついた指導者はどこに救いの手を求めたらよいのか。答えは、この本にある。本書は、スポーツ栄養学、スポーツ外傷学、そしてトレーニング学や薬学を網羅し、そこから各スポーツ種目に見合った栄養の知識やそのスポーツ種目にありがちなケガとその予防について等、より身近に感じられる「なぜ」に対して科学的根拠をベースにしてピン・ポイントで説明している。

「子どものスポーツ」の最前線を知る
 スポーツという身体運動は、もともと日常生活動作からかけ離れた特殊な運動の集まりだ。つまり、速く走る、遠くへ物を投げる、強く蹴るなど、どれも身体に対して強いストレスになるものばかりだ。これは同時に、スポーツをすることによってケガする可能性が十分あることも意味するのだ。したがって、ケガを未然に防ぐには日頃の栄養摂取により強く関心の目を向け、トレーニング方法の適否を確実に判断し、ケガの原因となりうる運動を極力排除できるだけの指導力が必要なことぐらい誰にもわかる。大切なことは、こういったしどうを科学的根拠に基づいて適切に、しかも誰もが納得できる形で平易に説明ができることである。これからのスポーツ指導者に求められるのはこういった指導力だということを痛感すべきである。
「中学生でプロテインを飲むのは早すぎる?」「整形外科で捻挫と診断され、冷シップをたくさんもらってきたけど、復帰の目安を教えて?」「小学校高学年から中学校にかけての成長期にしてはいけないトレーニングはある?」こう聞かれたらどう答える、コーチ? もう一度申し上げある。答えは、本書にある。

(本書は『新装版 現場の疑問にきちんと答える 子どものスポーツ医学入門』として、ラピュータより刊行。 ISBN: ‎ 9784947752871)







(久米 秀作)

出版元:山海堂

(掲載日:2003-11-10)

タグ:スポーツ医学 子ども  
カテゴリ スポーツ医学
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スポーツ留学 in USA
岩崎 由純 峠野 哲郎

アメリカでプロアスリートになる
 本書はアメリカに留学したい、それもスポーツ選手としてアスリートとして留学したいと希望している高校生あるいは大学生に向けて、長年の留学サポート実績を誇る「栄陽子留学研究所」の代表・栄陽子氏が中心となって書き下ろしたアメリカ留学実用書である。
 それにしても今回この本を手にして、単なる留学ではないスポーツ留学だの「アメリカでプロアスリートになるには」(第一章)といったタイトルを目にして、正直おじさんは驚いている。われわれの時代には(というと古臭く聞こえるかもしれないが)、単なる異文化散見程度で留学と認識されたのとは違い、自らを相手国の文化の中に埋没させ、そこで職を得て生活する覚悟(?)を持って渡航しようとする現代の若者のバイタリティには、おじさんは畏怖の念を持って見つめざるを得ないのである。多分この本が出版される背景には、すでに一般の人々(とくに若者)の間ではこういった新しい留学の概念が市民権を得つつあるという著者の鋭い先見性によるところが大であると思うが、しかしこの場に及んでもこのおじさんは、“留学”に対し一種偏見としか思えない古臭いイメージに憑かれていた。ところが、早速序章のところで著者はこのおじさんの古い頭を思いっきりひっぱたいたのである。

「留学」とは勉強することなり
 序章のタイトルは「アスリートを目指す留学生が知っておきたい三つの事柄」。なんの変哲もないこの章には、実は本書の根幹を成す内容がエッセンスとなって詰め込まれていたのである。著者は、「アメリカの大学でアスリートとして生きていくためには、まず三つのことを理解する必要があります」と前置きして、①勉強が第一であること、②専攻を自由に選べること、③アメリカではスポーツはすべてシーズン制であること、を強調している。これらの内容は、本文中にも繰り返し出てくるのだが、とくに①の勉学については日本とアメリカの大学教育システムや理念の違いや、アメリカ社会が学生スポーツをどのように受け入れているかなどについて多くの紙幅が割かれている。簡単に言えば、アメリカでは日本と違って大学という場は勉学の場であり、個人の自立を促す場であること、したがって、勉強についていけない学生はたとえオリンピック級のアスリートであっても退学処分になること。また、②専攻が自由に選べることについては、裏を返せば自分の好きなことは自分で探せということで、これも結局のところ自分自身が学業に熱心でないと難しいこと。そして③に至っては、シーズン制をとっているため毎日の、毎週の、シーズンの練習時間に厳しい取り決めがあり、それを越えてコーチについて練習することは許されないこと。したがって個人の努力が大きなウェイトを占めるという、これまた個人の自立精神に大いに関係することなどが強調されているのである。ライバル校に勝ちたければ相手よりたくさん練習しろ、という日本流の極意はアメリカでは通用しそうにない。結局のところ、アメリカでは自分の力ですべて切り拓けということらしい。こういったことをすべて理解し、リスクも承知でアメリカへ留学しようとする若者とそれを手助けしようとする著者。両者の熱意にささやかではあるが本書を通して触れることができて、ようやくおじさんの頭は“新しい留学”へと切り替わりつつある。そして、この留学生たちがいずれ近い将来日本に“復帰”して、日本のスポーツシーンを劇的に変えるであろう予感もおじさんはこの本を読んで感じるのである。

(久米 秀作)

出版元:三修社

(掲載日:2004-04-10)

タグ:留学 
カテゴリ その他
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エール大学対校エイト物語
ステファン キースリング Stephen Kiesling 榊原 章浩

The Shell Game
 自らの人生においてスポーツがいかほどの価値を持つか、という問いに真面目に答えようとしたとき、あまりの真実の残酷さに呆然と立ち尽くす人は多いのではないか。考えれば考えるほど、スポーツを行うという純粋な行為とて人生における価値とは無縁なものに思えてならないからだ。が同時に、アリストテレスの言う“理性こそがわれわれ人類の特質であり、また他の生き物と区別する証である。その結果、肉体は理性の下に位置づけられた。”という意見を聞くに及んでは、凛然とその理不尽に抗議し、スポーツに内包される価値について延々と述べる用意を厭わない。スポーツをこよなく愛する者にとって、この二面性から逃れることは不可能に近い。
 主人公のスチーブ・キースリングは、身長6フィート4インチ。「古典文学、急進主義、離婚、ホットタブ、心霊現象、スポーツカーといった環境で育ち、そして漕手になった」そうだが「もっと手際よく自己紹介できる才能があれば、こんな物語を書くこともなかっただろう」というように、本書の著者でもある。その主人公の“私”は、1980年に卒業するまで東部の名門エール大学の漕艇部に所属し、エール対校エイトの中心的人物として活躍する。「根っからのスポーツマンでは著者は、エール大学入学後にボートと巡り合ったことにより、アスリートへと変化をとげていく。あらゆるスポーツで米国最古の伝統を誇る対校戦、エール対ハーバードのフォー・マイラーと呼ばれる過酷なボート・レースに勝つために、学生生活のすべてを懸けて戦う。その模様が本書の縦糸となって活き活きと語られている」と訳者は本書を解説している。

ヘンレー・レガッタ
 正式名は“ヘンレー・ロイヤル・レガッタ”。英国のオックスフォードとロンドンの間にあるヘンリーオンテムズという田舎町で行われるこのレースは150年の伝統を持ち、「アメリカの大学クルーにとって憧れの的」だ。ここでのレガッタは「この町の園遊会」であり、「宣伝などしなくても、10万を超える人々が詰めかける。ウィンブルドンの狭苦しいスタンドにうんざりした観衆は、ブレザーとかんかん帽を引っ張り出して、テムズ川の土手にくりだす」のである。そして、エール・クルーは、ここでオックスフォード大学、カリフォルニア大学、英国ナショナル・チームを相手に、最も栄誉あるグランドチャレンジ杯をめざして戦うことになる。試合当日、エール・クルーにはまだ笑う余裕があった。ただし、「それもわれわれが(もっとも不利といわれる)6レーン引きあてるまで」。かくして、「誰もフランス語を話すものがいないのだが、国際レースの規則をかえるわけにもいかず」「パルテ!」の合図でレースがスタートする。果たして、エール・クルーの賞賛は!?
 本書の訳者は『カシタス湖の戦い』(東北大学出版会)で、ダブル・スカルの金メダリストを見事に描いた。今回も同じボート競技をテーマにしたノベルだが、前回のような派手な表現があるわけでなく、むしろ文章に抑制をきかせることでいっそうの真実感を持たせることに成功している。ここのところは大学時代、著者同様対校エイト漕手であった訳者の力量が見逃せない。前回の書評では、ファンタジーなスポーツ・ノベルと書いたが、今回の作品を読んで、ファンタジーとは決して単なるおとぎ話ではなく、本当は真実の中にあることに気づかされた次第である。

(久米 秀作)

出版元:東北大学出版会

(掲載日:2004-07-10)

タグ:漕艇 
カテゴリ その他
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潜在能力を引き出す力 フィジカル・コーチが見たトップアスリートの成功法則
白木 仁 山岡 淳一郎

KUDOH 47番
 平成16年6月18日、その日の試合は最近には珍しく投手戦の様相を呈していた。初回、ジャイアンツの工藤公康投手は連打と四球で一死満塁といきなりピンチを迎え、さらに2回にも二死満塁のピンチが続く。しかし、結局工藤は7回まで投げきり、その後投手リレーをつないで1対0の完封勝利をものにする。工藤197回目の勝利である。
 この日の工藤を彼はどのような感慨をもって見守っていたのか。その彼とは、工藤のフィジカル・トレーナーとして14年間、工藤の身体を“コーディネート”する役割を果たしてきた“白木仁”その人である。白木は言う。「『トレーナー』という言葉から、読者は何を想像されるだろうか。(中略)スポーツ界で『頂点の勝負』に携わってきた者としては、そこに『コーディネーター』という見方を加えていただきたい。(中略)トレーナーは、より選手に近い位置で、選手に寄り添い、けれども選手ベッタリにならず、刻々と変わる彼らの体調を把握しながら、時には監督との対立も辞さず、総合的な戦力を調整する者だ。独立した職能である。到達すべき勝利から逆算してトレーニング計画を立てるので『プランナー』とも言える」。少し長い引用になってしまったが、ここに白木自身のトレーナーとしての哲学がみて取れる。その証拠に、白木は工藤のみならず、プロゴルファーの片山晋呉にも、さらにはシドニー五輪でシンクロナイズドスイミング・デュエット銀メダルの立花・武田組に対してさえも、この姿勢を一貫して崩していないと言う。白木は「フィジカル・コーチの基本的な役割は『トリガー(引き金)』だと思っている。実際に身体を動かすのは選手なのだ。選手がトレーニングの目的と手段を自ら『選び』、能動的に関わらなければ、効果は期待できない。(中略)フィジカル・コーチングを支えるのは、選手を知ろうとする意欲、人間に対する興味なのだ」とも言う。とすれば、14年もの間白木を魅了した工藤投手の人間的魅力、身体の秘密とは果たして何か……。

潜在能力をどう引き出すか
 最近、アスレチック・トレーナーという職種に人気が集まっている。とはいえ、決して就職がしやすくなった訳ではない。予備軍とも言うべき高校生や大学生にとって憧れの職種になっているのである。理由ははっきりしない。が、私が現在勤める大学にもこのアスレチック・トレーナー養成コースがあり、ここに所属する学生に入学の動機を聞いてみると「高校の部活でケガをしたとき、病院のリハビリのおかげで復帰できたから」とか「何かスポーツに関係する仕事に就きたいから」といった返事が多い。いずれにしても、憧れの職業となっている理由同様漫然とした返答だ。これは、裏を返せば日本社会において未だアスレチック・トレーナーという職種が十分理解されていない証拠とも言える。中には、応急処置やリハビリテーション、マッサージだけがトレーナーの仕事だと思っている人もいる。しかし、白木は言う。「だからケガした選手に対し、僕は『リハビリ』という言葉は使わない。あくまでも『トレーニング』という。彼らの眠っていた、恐らく、この状況にならなければ気づかなかったであろう力を引き出す。そのためのトレーニングなのだ」そして、さらにこう続ける。「トレーナーの生きがいとは何か、と質問されたら(中略)『人間が変わる現場』に立ち会えることと答えたい」。アスレチック・トレーナーの職域に対して“潜在能力の開発”という新しい提案がなされた瞬間である。

(久米 秀作)

出版元:日本実業出版社

(掲載日:2004-08-10)

タグ:コンディショニング 
カテゴリ スポーツ医科学
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アテネでつかむ金メダル 中京女子大レスリング部からアテネ五輪へ飛ぶ三人
横森 綾 栄 和人

全階級金メダルの夢
 1896年の第一回近代オリンピック以来の聖地開催となった今年のアテネ大会。今回の大会で初めて正式種目に採用されたのが女子レスリングだ。本書は、この種目の日本代表三選手の物語である。
「気合だぁー、うぃース!」でお馴染みの親子の人気がこの種目への注目度や好感度をアップさせたことは間違いない。が、何より注目を浴びたのがこの種目における日本のレベルの高さであった。世界大会に勝つよりも国内で代表権をとるほうがよほど難しいと言わしめたこのレベルの高さが、本番での全出場階級メダルへの期待、いや単なるメダルではなく金メダルへの期待となって全国民に注目されるところとなったのである。
 その難関を突破して今回代表の座を射止めたひとりに、吉田沙保里(55kg級)がいる。父は元レスリング全日本王者。母もテニスで国体選手。そして、吉田は二人の兄とともに3歳から父が主宰するジュニアレスリング教室でレスリングを始める。そして、父親ゆずりの負けず嫌いもあって中学1年生の初遠征から国際大会16大会連続優勝。外国選手にはめっぽう強い。現在中京女子大学4年生でレスリング部のキャプテンでもある。
 もうひとりは、伊調馨。身長166cmで63kg級に出場。青森県八戸市で生まれ、幼いときから兄と姉で同じく今大会の48kg級代表として出場する千春とともに八戸クラブでレスリングを始める。中学校卒業後レスリングの練習環境を求めて中京女子大学付属高校を経て中京女子大学へ入学。2003年世界選手権に優勝し、その勢いにのって今回代表の座を獲得する。
 最後のひとりが、馨の3つ違いの姉伊調千春だ。妹の馨がのんびり屋で大雑把な性格なら、姉千春は几帳面で苦労人だ。自らレスリングができる環境を求めて京都の網野高校に進み、高校選手権2連覇を成し遂げ、東洋大学に入学。ところが、その東洋大学では練習環境に難があった。そこで千春は思い切って中退し、馨のいる中京女子大に再入学を決意する。しかし、千春の苦労はこれだけでは終わらなかった。今回のアテネ大会での女子レスリングの実施種目が世界選手権と同じ7階級だけでなく4階級だけという変則的実施となったため、千春は得意とする51kg級から48kg級へと変更せざるを得なくなったのだ。しかし、全階級の中で唯一代表決定プレーオフまでもつれ込んだ結果、ライバル坂本真喜子選手を破って見事代表の座を射止めた。

勝つためのセオリー
 結局、吉田沙保里と伊調馨は念願の金メダルを手にした。吉田は表彰式後のインタビューでは「自分に負けなかった」ことが勝因と語ってくれた。自分にさえ負けたくない彼女の“負けず嫌い”がよく表現された瞬間であった。伊調馨は、試合後両手で顔を覆って泣き出してしまった。試合は終盤の逆転勝ち。はらはらして見守る周囲を他所に、表情変えずに逆転するふてぶてしさに解説者は“馨らしい勝ち方”と評したが、さすがに試合後は普通の女の子に戻っていた。一方姉の千春は惜しくも僅差の判定負け。試合前から硬かった表情がついに笑顔に変わることはなかった。「銀メダルではうれしくない」とインタビューに答えた彼女であったが、私は立派な成績と評価したい。
 果たして、勝つためのセオリーはあるのか。今回の女子レスリング代表選手たちをみていて改めて考えた。もしあるとしたらその共通項は何か。そこのところをまだ読み落としてはいまいかと、再び本書を手にする気になった。

(久米 秀作)

出版元:近代映画社

(掲載日:2004-10-10)

タグ:レスリング 
カテゴリ スポーツライティング
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指定管理者制度ハンドブック
地域協働型マネジメント研究会

民間でできることは民間で
「あっ、それって小泉首相のキャッチフレーズでしょ、郵政民営化のときの」
「別に郵政に限らず、これからはいろいろな公共物が民間の手で管理されるようになるけどね」
「公共物!? たとえばどんなもの?」
「うん、たとえば河川とか道路とか、身近なところだと公園、福祉会館や健康センター、体育館や公民館などもそうなるな。昨年、そういった制度が整備されたんだよ」
「へぇー、なんでそうなるの?」
「結局、国に財政的余裕がなくなったことが一番でしょ。だから、余計な経費は削りたい。たとえば、施設のメンテナンス料や人件費などをさ。これらを民間にお願いしたいわけさ」
「とすると、そういった施設を民間に払い下げちゃうわけ?」
「いや、そうじゃない。管理を代行させるんだよ」
「管理の代行ね……。じゃ、今まで国や地方公共団体はどうやって管理してきたの?」
「直営で管理しているところもあるけど、だいたいは第三セクター方式といって民間と地方自治体の共同経営組織が管理をしてたんだ」
「それじゃ、だめなんだ」
「そういうこと。結局経営の見通しが甘すぎて、けっこう破綻する法人が増えてきているんだよ」
「また、国の借金が増えるってことか」
「だから、国は民間の資金とノウハウを積極的に活用していこうと考えるようになったわけだ」

NPOの活動拠点づくり
「でも、民間企業側には公共施設を管理・運営すると何かメリットあるのかな?」
「もちろんだよ。たとえば、公共スポーツ施設の中にはけっこう収益事業として成り立つような立地条件持っているところはたくさんあるんだ。でも、今までは行政の委託条件が窮屈だったり、行政が顧客の志向に基づいたサービスを怠ったりしたもんだから慢性的な赤字経営になってしまったんだな」
「ということは、公共の施設を使って商売できるわけだね」
「商売というよりは民間企業と地方公共団体が協働する、いわゆる公民パートナーシップを結ぶことで、企業側は住民へのコマーシャルやイメージづくりを期待できるし、行政側は住民の持つ多様なニーズに対してもっとも価値あるサービスを提供できることになるね。これは地域活性化にも効果がある。ちなみに、パートナーシップを結べるのは企業だけじゃない。うちのようなNPO法人もオーケーなんだ。この場合は活動拠点づくりにメリットがあるかな」
「そうなんだ。じゃあ、収益事業もできるんでしょう。企業と同じように。そうなると会の運営も楽になるんだけどな」
「大丈夫。利用料金制の導入によって、利用料は直接管理者の収入にできる。だからこそコスト面の効率化やサービスの向上が不可欠なわけ」
「なるほど、ビジネスチャンス到来っていうわけだ。だったら、さっそくうちでもそれやろうよ、その管理代行っていうやつ」
「正確には、指定管理者による公の施設の管理代行というんだ。誰が指定管理者になるかは公募プロポーザル方式によって決まるんだ」
「公募!? そんなの僕らにはやり方全然わからないよ。やっぱり、僕らのような市民団体には応募は無理だな」
「まあ、心配するなって。はい、これ。この本読めば公募のポイントも詳しく書いてあるし、実例も載っているんだ」
「へぇーこの本? 指定管理者制度ハンドブック……か」

(久米 秀作)

出版元:ぎょうせい

(掲載日:2004-12-10)

タグ:指定管理者  
カテゴリ その他
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コーディネーション・エクササイズ
竹内 敏康 渡邉 孝 神崎 公宏 広瀬 統一 小林 秀一 山崎 浩子 東根 明人

よい動きをつくる“トレーニング”
 近年のスポーツトレーニングには、筋肉に対するレジスタンス・トレーニングや呼吸循環器系に対するサーキット・トレーニングなど非常に多くの種類のトレーニングがある訳だが、今回ご紹介するコーディネーション・エクササイズはいわば「情報系、神経系」のトレーニングである。今から30年ほど前に旧東ドイツでまとめられた概念を基本に、このトレーニング研究で知られる監修者が、自らが主催する「コーディネーショントレーニング研究会」のメンバーの協力を得て、よりわかりやすいトレーニングの実技例を多数用意し、種目別に紹介したのが本書である。
 わが国におけるスポーツのトレーニング方法を改めて考えてみると、まず部分的な基礎練習から入り、徐々に練習の各部分を連結していく形で最終的に実戦練習に入るという、いわば部分から全体へという流れで進めていくのが一般的である。理論としてこの流れは決して間違っているものではないが、その方法で進めようとすると、往々にして初期の練習内容が単純化され過ぎるきらいがある。そうなるとトレーニングの主体者である生徒や選手にとっては、あまりにも自らが描いた憧れのスポーツ像とのギャップがありすぎて、この初歩段階ですでに興味を失うケースも多々ありうる。さらに、この基本練習段階では繰り返し同じ動きを強制されがちなことから、またまたギャップは広がり、結局ここで早々にドロップアウトとなるケースは珍しくない。これを自然淘汰と呼ぶのは少々乱暴な話である。こと幼年期、少年期にある子どもたちには、生涯にわたってスポーツに親しんでもらいたいとの願いから、こういった基礎的な練習時期にはなるべく楽しい雰囲気で、あるいは興味を失わせない工夫をしながら練習が進められることが望まれるわけである。しかし、残念ながら、必ずしもそういった練習がわが国のすべてのスポーツ指導者に支持されているとは思えない。そういう意味で、本書のような視覚と聴覚と触覚と、場合によっては第六感をも使う必要のありそうなトレーニングメニューの数々は一見の価値あり、である。

「守・破・離」
 本書の特徴は4つの重要なポイントが各トレーニングに多分に盛り込まれていることである。第一に「不規則性」。これはエクササイズにあえて順番を設けず、どれからでもランダムに練習できるようにしてあること。第二に「選択反応」。エクササイズによっては2つないし3つの刺激に対して同時に反応するように工夫されていること。第三は「身体の軸」。バランスを保つうえで重要な身体の軸をここではわざと不安定な状態にさせて、バランス感覚を養おうとしていること。そして、第四に「スローテンポ」。「ゆっくりと(動きを)行うことによって自分の筋肉や関節の動きがわかり、クイックなテンポに置き換えても動きがはっきりと理解できるというメリットがある」こと。以上のように、本書の根底には生徒や選手が飽きないような練習こそが神経を最も刺激するトレーニング方法であるという主張が流れているのである。さらに著者は「『守・破・離』という言葉がありますが、これはエクササイズを行ううえでコーチがしっかりと把握しておきたいステップ」として、まずコーチは「守」すなわちこのエクササイズに習熟し、「破」原理原則が理解できたら自分で工夫して新たな方法を模索し、「離」さらに高いレベルを目指し、最終的には独自のエクササイズを構築すべしと説いている。コーディネーション・エクササイズは無数に存在するということでしょう。コーチの皆さん、是非とも本書を手に取り、自らの独特なエクササイズをつくってみませんか。

(久米 秀作)

出版元:全国書籍出版

(掲載日:2005-02-10)

タグ:コーディネーション 
カテゴリ トレーニング
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コアビリティトレーニング
山下 哲弘 山田 ゆかり

“コアビリティ”とは何か
 本書のタイトルは『コアビリティトレーニング』である。では、“コアビリティ”とは何か。まえがきの部分に「『コアビリティトレーニング』というのは、全身の改造トレーニングと考えて下さい。(『コアビリティ』とは『コア』が可能にする動きという造語)」とある。つまり、私の推測では「コア(Core)芯」と「アビリティ(Ability)能力」を掛け合わせた造語とみた。では、ここで言う“コア”とはどこの部分を指すのか。これについて筆者は「もう一度強調したいことは、『コアビリティ』の『コア』=『骨格』であるということ」と述べている。そして、さらに「コア=骨格」の骨格とは“背骨”を指すと強調している。このようにすべての動作の中心を背骨と捉えて、背骨中心に上肢と下肢を一体的に鍛えることを目的としたトレーニング法は、一般的には“コアスタビライゼーション”とか“スパイナルスタビライゼーション”と呼ばれ、最近特に注目を浴びてきたトレーニング法である。しかし、原理的には決して目新しいものではなく、私は従来から行われている“ボディバランスのトレーニング”の一種と理解している。筆者も、前述したが「『コアビリティ』とは『コア』が可能にする動き」と述べているように、背骨のアライメントを崩すことなく動けるように背骨を中心とした周囲の筋肉群をトレーニングすることが、結果的にボディバランスのよい動きを生み出すと考えているようだ。

一元的トレーニング法
 今、私は本書のトレーニングを一種の“ボディバランストレーニング”と理解していると述べたが、ここで読者の理解を得るために私のイメージするボディバランストレーニングの具体例をいくつか挙げておく。まず基本としては①手押し車(腕立ての姿勢から両足をパートナーに抱えてもらい、両腕で歩く)、②バービー運動(直立姿勢から両手を地面に付き、同時に両足を後ろに投げ出して腕立て姿勢となり、再びもとの直立姿勢にすばやく戻る)、③倒立および倒立歩行、等。さらには、トレーナーあるいはコーチの指示に従って上下左右に動くトレーニングも高度なボディバランストレーニングと考えてよい。この種のトレーニングは、特に球技系では実際場面に動きが近似し実戦をイメージしやすいことから、従来から大いに実施されてきた。だから、特に目新しいトレーニング法ではないと申し上げたわけだ。しかし、トレーニングの順序という点から考えてみると、今まではまずウエイトトレーニングによって個々の筋肉を鍛え、筋力アップをしてから徐々に全体系、神経系トレーニングへというトレーニングの細分化が一般的であった。その点、本書に紹介しているコアビリティトレーニングは基礎的な筋力アップと実戦的動作に直結した筋肉の機能アップを同時に実現する一元的な方法を特徴とする。なおかつ器材をほとんど必要とせず、自らの体重のみを負荷として効果を得られる手軽さも魅力である。決して、ウエイトトレーニングの有効性を否定するわけではないが、トレーニング器材が十分でないチームやより選手の理解を得やすいトレーニング法を伝授したいと望むコーチ諸氏には、こういったトレーニング法が紹介されることは朗報と言えるのではないだろうか。
 また、本書の後半には著者を師と仰ぐ日本人初のNFLプレーヤー河口正史氏自らがモデルとなって具体的なトレーニング法が写真で示されていたり、Q&A方式でこのトレーニング対する疑問点が多角的に検討されているなど実用性の高い配慮が随所に見られる。ぜひ一読を薦めたい。

(久米 秀作)

出版元:ベースボール・マガジン社

(掲載日:2005-03-10)

タグ:トレーニング 
カテゴリ トレーニング
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運動会で一番になる方法
深代 千之

1カ月で速くなる
 “運動会”という時期にはまだ少々早いので、タイトルを見ただけでは正直読もうという気にはなりにくいのですが、本書の「はじめに」のところに「この本は、タイトルとおりの内容の本です。少し補足すれば、『小学校の子どもを運動会で一等賞にするための方法について解説した本』」ということで、推奨される読み手は、1. 小学校の子どもをお持ちのご両親、2. スポーツを自分でもやったり観たりするのが好きな方、3. 人間の身体やその動きについて興味のある方、等だそうです。つまり、指導的立場にいる方々に読んでいただきたいということなのだと思います。ですから、当の小学生は本書に紹介されているドリルをやれば、運動会本番の一カ月ぐらい前からの練習で十分成果が期待できそうですが、それを指導する親や先生たちはドリルの本来の意味やら道理やらを理解する必要があるわけですから、もう少し時間を要するということで、この時期からそろそろ読んでおいては如何かということなのです。
 ところで、本書の第一章にも掲げられていることなのですが、最近の子どもは本当に“自然の運動”をしなくなったのでしょうか。自然の運動とは、多分日常の環境を利用して運動することだと思うのです。例えば、空き地に行って草野球をやる。ところがいつの時代も空き地には“立ち入り禁止”と看板が掲げてある。もちろん、そんなことはおかまいなしにやる。と、そこへ土地の管理者が突然やってきて“こらー! おまえら誰の許可とってここへ入ったんだー!”と叫びながらこちらへ向かってくる。そこで、子どもは急遽試合を無期限延期にしてダッシュでトンヅラする。その際、忘れ物はないか素早く視覚で確認し、全員同じ方向に逃げないように各自逃走路を確保する。まさに、全身全霊を傾けての逃走劇。これこそが、理にかなった運動というもので、自然のトレーニングなのだが。やっぱり、少なくなったかな?

股関節活性化ドリル
 日本人は長い間、長距離種目は強いが短距離種目はダメと信じられてきました。その理由は筋の組成が生まれつき長距離型になっているとか、骨格の長さが短いからとかいろいろ言われてきました。しかし、近年“ナンバ走り”で有名になった末續慎吾選手のように短距離種目でメダルの可能性を持つ選手も出てきたことは確かです。現役時代トップ選手として活躍し、現在彼のコーチである高野進氏は「脚を股関節で引っ張るように前から後ろへ運ぶ“競歩”のような動きが、短距離走の正しい脚の振り戻しに近いことに着目」したそうです。本書には「トップアスリートは、さらに上を目指して、様々な手法を取り入れて走りの中で応用できないか試しています。その一つが『ナンバ走り』なのです。それぞれの選手は、いろいろな走りを試しながら、自分にあった新しい“気づき”を体得しようと努力しています」と述べられています。つまり、経験知としてのコーチの何らかの確信があり、それを選手が自分なりに消化・吸収したとき初めて成果として記録がついてくるというわけです。ということは、今回本書に紹介されている「股関節活性化ドリル」は、まず指導者が体感し、確固たる経験知としなければなりません。ただ単に“股関節を使え”、“動かせ”と言っても選手には理解しにくいでしょう。まして相手が小学生ともなれば、股関節ドリルをベースしたオリジナルなドリルの作成が必要になると思います。是非とも今年の運動会に間に合うように、指導者の皆さんには早目に本書を手に取ることをお勧めいたします。

(久米 秀作)

出版元:アスキー

(掲載日:2005-04-10)

タグ:短距離走 
カテゴリ 運動実践
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スポーツ選手なら知っておきたいからだのこと
小田 伸午

“言葉”が選手を変える
「からだの力抜いていけよ!」「リラックスしていけよ!」。これは、よくスポーツ場面で聞かれる言葉である。選手のパフォーマンス向上を願って発せられる言葉だと思うが、実はよく考えてみるとこの言葉はおかしい。なぜなら、スポーツの場面でからだの力を完全に抜く場面は皆無に等しいし、第一それではスポーツという活動が成り立たないからである。単なる応援のつもりならば、こんなあいまいな言葉でも許されるだろうが、こと指導者ともなれば、この場合は「余計なところに力をいれるなよ。余分な力もいれるなよ」が正しいであろう。さらに続けるならば「そのためには、具体的にはこうするといい」とアドバイスしたいところだ。
 このように、スポーツの指導場面においては、当然のことながら多くの“言葉”が用いられている。本来なら、適切な言葉でその競技スキルに見合った“力の入れ所”と“抜き所”を指導できてこそよい指導者ということになるところだが、実際には動作を見た目で言葉にして指導に使っていることも多々ある。たとえば、本 書 に は 次 の よ う な 文 章 が で て く る 。(競泳クロールの手のかき動作について)「プル(引く)という表現も要注意です。外から見るとプル動作のように見えますが、動作感覚としてはプッシュ(押す)です。水泳のかき動作は、水の中で手を後方に動かす動作であると勘違いしやすいですが、手の位置が後方に移動するのではなく、からだが前に進むのです。」とすると、たとえ選手が一流の素材を持つ選手であったとしても、指導者の観察眼が二流ならば、選手には「水をキャッチしたら自分のほうへ引っ張るんだ」と指導してしまうだろうし、トレーニングは“引く”に力点が置かれてしまうであろう。本当は、“押す”感覚が正しいはずなのに、コーチには正反対の感覚を指導された......。指導者の責任は重い。

“常歩”と“押し”
“なみあし”と読むそうである。世界陸上の200mで並み居る強敵を押しのけて堂々 3 位に入賞した末次慎吾選手が取り入れたとして有名になった“なんば”走りを本書ではこう呼んでいる。理由は「なんばというと、多くの人が(歩行などの)遊脚期の足と手が(同時に)前に出るというふうに勘違いしています。また、なんばでは、左右軸のいずれか片方に軸を固定して使う場合が多くありますが、スポーツの走動作では、左右の軸をたくみに切り替えていく動きになります。そこで、私たちの研究グループは、スポーツ向きの二軸走動作をなんばと言わずに『常歩』という言い方であらわすことにしました。」この二軸動作の詳細については本書に譲るが、ここでも前述した水泳同様に感覚の誤解を指摘しており、走動作においては“蹴る”という感覚ではなく、振り出し脚に腰を乗せていく感覚を強調すべきであると言っている。こうすると、自然に身体の軸は左右二軸となり、からだが前に出る運動量が格段と増すという。また、このときの足裏の感覚も“蹴る”ではなく“押す”、振り出した脚の膝は“突っ張る”のではなく“抜く”というのである。このような新感覚の指導言語は、正しい身体動作の理解から生まれたものである。
「コーチは選手とよいコミュニケーションを図れ」は当然のことだが、必ずしも問題の中心を指摘することがよいとは限らない。ときには、選手がうまくできない部分から意識をはずしてやり、違う言葉で正しい感覚を教授してやることも必要だ。自分の使った言葉によって、選手に新たなパラダイムシフトが起これば、指導者冥利に尽きるというものである。

(久米 秀作)

出版元:大修館書店

(掲載日:2005-07-10)

タグ:身体 動作 
カテゴリ 身体
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使える筋肉・使えない筋肉
谷本 道哉 石井 直方

ウェイトトレーニングの謎
 世間ではよく「使えないやつ」みたいな言い方はあるが、「使えない筋肉」があるとは知らなかった。結局のところ、筆者の言わんとするのは、「間違えたトレーニングをそのままにしておくと、たいへんなことになりますよ!」(どこかのテレビ番組のキャッチみたいだが)ということなのだ。とくにウェイトトレーニングについては、元々が外国製トレーニングだけに、まだこのトレーニングに懐疑的な人は多いと思う。とは言え、最近のわが国の話題のひとつに、高齢者に対する“筋トレ”(評者は個人的にこの呼び名が嫌いで、これこそこのトレーニングの本質を歪めるものだと思っているが)を奨励する向きもあるので、早急にこの種のトレーニング方法を見極める必要はありそうである。
 今見極めると言ったが、こう言うと「もうすでにこの種のトレーニングは、かなり理解が進んでいるのでは」と訝る御仁もいると思う。しかし、実際はまだウェイトトレーニング自体を“禁物”と考えているスポーツは多いはずだ。たとえば、最近行われた日本人同士のボクシング世界タイトルマッチではチャンピオンに返り咲いた選手はその勝因の一つに、ボクシング界でタブーとされていたウェイトトレーニングを積極的に取り入れたことをあげていた。ほかにもアメリカンフットボールでは、司令塔と言われるクォータバックはコンタクトを専門とする選手から見ればほとんどウェイトトレーニングはやらない。やるとすれば、ケガ予防といった程度である。さらに、ゴルフ、フィギュアスケートなど、最近日本人の世界での活躍が目立ってきたスポーツにおいても、ウェイトトレーニングをやっているのか、いないのか。やらないならなぜ? やるならどのように? が見えてこない。

ウェイトトレーニングは“悪い癖”をつける?
 本書では、ウェイトトレーニングは筋肉に“効かせる”べきで、実際のスポーツ動作では“効かせ”てはいけないと言う。これは具体的にどういうことかと言うと「『効いた』とは通常、使った筋肉が局所的に完全疲労し、オールアウトした状態を指していいます。(中略)この『効いた』状態は筋肥大の刺激を十分与えられた状態ですので、ウェイトトレーニングではできるだけこの状態を得られることを目指します。」これに対して、「スポーツ動作はできるだけ『効かせ』たくないのです。(つまりオールアウトをさせたくない)『効かせる』という点に対する目的が正反対である両者の動作様式は大きく異なります。その違いがスポーツ動作に対する『悪い癖』となり、『使えない筋肉』をつくる一要因になっているのです」。なるほど、つまり筋肉を大きくするだけならウェイトトレーニングでもいいが、スポーツの実際場面では筋肉以外に腱などの粘弾性要素も大いに活用することが必要であるので、単に筋肉だけに着目したトレーニング方法は間違っているというわけだ。そこで、筆者は、「動的に動くスポーツ動作において大きな力・大きな速度を発揮するための最大の要素はSSCという反動動作で、瞬間的に上手に力を発揮すること」で「ですからスポーツ動作で筋力を上手に発揮するための基礎的スキルトレーニングには、このSSCを強調したプライオメトリックトレーニングなどのバリスティック(瞬発的)なトレーニングが中心になるべき」と提言している。
 最近の本場アメリカでのウェイトトレーニングの傾向も、単にマス(質量)を高めるだけのトレーニング方法から、そのスポーツ種目に必要な身体部分に集中してパフォーマンスを向上させようという目標にシフトしてきているように思う。ウェイトトレーニング自体は肯定しつつも、余計なトレーニングは必要ないと言うわけだ。本書は、ここの最先端の考え方をより迅速にわが国に紹介しようとした若手研究者の意欲作である。

(久米 秀作)

出版元:山海堂

(掲載日:2005-09-10)

タグ:トレーニング 
カテゴリ スポーツ科学
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企業スポーツの栄光と挫折
澤野 雅彦

絶滅寸前の“企業スポーツ”
 今回の本の出版元である青弓社というところは、なかなか“骨太”な本を出すところだ。たとえば、その中の一冊に「運動会と日本近代」という本がある。この本は、1874年(明治7年)にイギリス人将校の提案で始まった“近代”の運動会が、いかに日本人独特の祝祭的性格にマッチし、日本社会に融合され、近代化教育の中で有効な身体教育装置として機能したかを書いたものだ。今日ではごく当たり前の学校行事が、実は初期の日本近代化政策を推し進める上で大変重要な役割を果たしたというわけだ。青弓社には他にも近代日本の成立過程をスポーツというキーワードを使って解き明かそうとした作品が多い。
 今回ご紹介する本書もこの流れに沿ったものだ。「本書では、『企業スポーツ』を考えてみたい。(中略)オリンピックの商業化を契機に、世界中がスポーツを支援しはじめている。(中略)もちろん日本も例外ではなく、選手のスポンサーになって、冠大会を開いて会場の宣伝用のプレートを掲げ、メディアを通じて企業名を宣伝している。だがしかし、本来の意味の『企業スポーツ』は、産業構造の変化とともに、また、企業収益の低下とともに、衰退の道を歩み始めているのである」。ここで言う“本来の意味の企業スポーツ”とは何か。筆者はそれを日本の文明と言う。「どのようなスポーツをどのような世界観に基づいておこなうかというスポーツ文化(ソフトウエア)の研究よりも、そのスポーツがどのような装置や仕組みを通しておこなわれるか、といったスポーツ文明(ハードウエア)により興味がある」。さらに、筆者は「『企業スポーツ』とは何だったのかについて、消え去ってしまう前に書き留めておきたい」と言う。今、日本の文明のひとつが絶滅寸前なのである。

「企業スポーツ」は日本を救えるか?
 スポーツが日本の企業の中で注目され始めたのはいつの頃であったか。筆者は「『日本型』労務管理が黎明期を迎えるのが第一次世界大戦の時期、つまり1912年ごろ(明治末期から大正元年)のこと」であって、「大正期に入ると、雇用状況の変化に応じて、企業主の温情としての福利厚生制度が出現しはじめる」と言う。なぜなら、産業技術が新段階を迎えるにあたり“現場での熟練工”の重要性が認識され始め、終身雇用的な労務慣行が意味を持ち始めたからだ。そして、経営者のなかに「経営家族主義」なるイデオロギーが浸透し始める。つまり、社員はみな家族というわけだ。このイデオロギーはストライキなどの労働運動の抑制にも効果があったと言われる。
 今年のプロ野球界には激震が走り続けている。IT産業による企業の買収・合併攻勢のなかで親会社が揺れているからである。が、プロ野球の成立過程を考えればこれは宿命だ。所詮親会社の広告塔なのである。しかし、企業スポーツは違う、と筆者は言う。「本書で扱おうとしているものは労務部・人事部所管の企業スポーツであり、従業員の福利厚生または教育訓練としての企業スポーツである。決して、広告宣伝部のそれではない」。つまり、会社の根幹をなす人材教育の受け皿として企業スポーツは存在価値があるというわけである。筆者の専門である経営学の古典的理論に“満足化理論”というのがあるそうだ。これは極大利潤を目指してぎりぎりのことをやる企業より企業が存続できる程度の利潤を目指す(満足化利潤)企業の方が社会的イノベーションが起こしやすいとう理論であると言う。「組織は常に余剰を抱えるべきで、余剰の有効活用をしようとするときに革新が起こる」という筆者の提案に素直に耳を傾けたい。その意味で「企業スポーツは日本を救う」的解釈は新しいと思う。

(久米 秀作)

出版元:青弓社

(掲載日:2005-12-10)

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カテゴリ その他
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スタジアムの戦後史
阿部 珠樹

カクテル光線
 誰がネーミングしたのだろうか。このまことに素敵な響きを持つ言葉を耳にすると、必ずといってよいほど私はある空間へと引きずり込まれていく。私の父は決して野球好きのほうではなかったが、小学生の頃私を何回か野球場へ連れて行ってくれた。今でも忘れない。初めて後楽園球場に連れて行ってもらったときのことである。確かオールスター戦だったと思う。父の後について球場のスタンド裏手の通路を歩き、自分の席に最も近い階段を上ってスタンドに出たときのことである。私は強烈で真っ白な、そして妙に暖かな光線に全身を包まれてしまい、一瞬目が眩んでしまったのである。それ以来、「目が眩む」という表現に出会うと、私の頭脳はこのときの情景を再現するようになった。初夏の、涼やかな、そしてまだ青みを僅かに残した空を背景に輝くこのカクテル光線の群れは、私が父と過ごした幸せな思い出とセットとなって、今でも私の中に大切に保存されている。
「1937年(昭和12年)に完成し、1987年(昭和62年)まで、本家後楽園の隣でプロ野球のホームグランドとして観客を集めた後楽園球場は、日本を代表するスタジアムだった」。こんな話から始まる本書だが、主役は決してスタジアムそのものではない。「最初は主だったスタジアムの来歴とそこで演じられた試合中心に話を進めるつもりだったが、調べてゆくうちに、選手や試合よりも、スタジアムを作った人物、そこを訪れた人々、そしてスタジアムの栄枯盛衰と時代の空気とのかかわりのほうに関心が移り、そうした話が中心になった」と“あとがき”にもあるように、本書は後楽園球場と正力松太郎、両国国技館と春日野理事長、東京スタジアムと“永田ラッパ”で名を馳せた永田雅一など、いわゆるスタジアム建設の立役者とその時代が主役なのである。

伝統と国際化の相克
 1964年(昭和39年)10月10日に開幕した東京オリンピックは、日本の戦後の完全復興と国際社会への仲間入りを世界にアピールする役目を担って開催されたといっても過言ではない。そして、この大会で初めて種目に採用されたのが柔道である。「敗戦後、占領軍によって学校教育での実施が禁じられた武道(柔道、剣道、なぎなた、弓道)だが、徐々にその禁も解かれ、1950年代後半には中学、高校での科目にも取り入れられるようになった。こうした武道復興の動きの一方、1964年のオリンピックの東京開催が決まり、スポーツへの注目度が高まる。この二つの流れを受ける形で『武道の大殿堂』建設の声が国会議員の間で高まった」結果、現在の武道館建設が実現する。ところで、この武道館という建物は建築家山田 守の作品で「正八角形の床面に八面の屋根を持つ屋内競技場としては珍しい形状で、屋根の頂点には金色の義宝珠(ぎぼし)が置かれるユニークなもの」であるが、この武道館建設には東海大学創立者松前重義が大いに采配を振るったという。「富士の裾野を連想させるゆったりした流動美」を持つこの純日本的建物に、松前は「日本的テイストに彩られた山田の設計案のなかに、国際的にも通用する普遍性を見て」とり、彼が柔道の未来のためにぜひ必要と考えていた伝統的性格と近代的、国際的性格を合わせ持つスポーツへ移行させる考え方と合致すると踏んだようだ。まさに伝統と国際化の相克が、見事に武道館建設によって昇華されたわけである。
 スタジアムの建設というものが始まったのは紀元前450年頃らしい。この古代ギリシャの1単位であったスタジオン(約180m)の競争路を持っていたことを語源とする建物は、以来、古今東西で数多くの人間ドラマを生んできたに違いない。本書もこうしたスポーツのハードウエアーとも言うべきスタジアムの建設をわが国で画策し、人生を賭した人々をテーマに据えている。そこには、カクテル光線に包まれたグラウンド上にはない人間ドラマがあることを、別の意味でのスポーツの魅力をわれわれに教示してくれているように思えてならない。


(久米 秀作)

出版元:平凡社

(掲載日:2006-01-10)

タグ:スタジアム 歴史 
カテゴリ その他
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君なら翔べる! 世界を魅了するトップスケーターたちの素顔
佐藤 信夫 佐藤 久美子

おもろい夫婦
 トリノオリンピックでの荒川静香選手の金メダル獲得の余韻が覚めやらぬ 3 月下旬、今度はカルガリーでフィギュアスケート世界選手権が行われた。この大会にはトリノ大会 4 位の村主章枝ほか、中野友加里、恩田美栄の三選手が出場。いずれも世界トップ水準の選手たちだけに、大会期間中は多くのファンが再び“金”メダル獲得への期待を膨らませた。
 ところで、フィギュアという種目はテレビで見ていると(評者はテレビでしか見たことがない)、画面には演技直前リンク上で選手がコーチとなにやら会話を交わしている姿が先ず映る。そして、演技が終了すると選手は審判団の採点結果を待つ席に移動するが、そこにもコーチがしっかり横に座っている。これほど、コーチが選手に密着するスポーツは他にないのではないか。だけに、自然とコーチの露出度も、本人の好き嫌いは別として、選手と同様に増えることになる。
 日本で言えば、この露出度が最も高いコーチが今回ご紹介する本書のお二人である。ご存じない方もいるようだが、お二人はれっきとしたご夫婦。ご主人の佐藤信夫氏は村主章枝選手のコーチとして、奥様の久美子氏は荒川静香選手のコーチとして、トリノ大会では大忙しなお二人であった。
 そのお二人が自分たちのコーチ歴を語ったのが本書。お二人それぞれが、自分自身のこと、娘の佐藤有香さん(1994年世界選手権優勝者、トリノ解説者)のこと、そして村主、荒川、中野各選手のコーチングのことを読みやすい文体で語っている。とくに最後の「スペシャル対談」(第 7 章)は一読する価値十分にあり。読めばわかるが、このお二人、相当に「おもろい夫婦」なのである。

荒川と村主
「まず村主章枝のことは(中略)やはり難しかったのは、ジャンプ指導です。(中略)変なことすると、全部ダメにしちゃうかもしれない......。そうなるともう、口がうごかないんですよ」「僕はいつも、村主章枝に言うんですよ。『あなたの意見も聞く』と。だけど、あなたも僕の意見を聞いてくれないと困るんだよ、と」そうやって、腫れ物に触るようにはじめたコーチングだが、「あの全日本の前、2001年熊本のNHK杯で彼女はつまずいて、二つあるオリンピックの出場枠のひとつを、そこで手に入れることが出来なかったんですね」このコンディショニング調整失敗のときには「それはそれはおこりましたよ」しかし、その後村主選手はオリンピック 5 位、長野の世界選手権 3 位とつなげていく。「長野でメダルをとれたときはね、村主章枝、すごいなって。もう、尊敬しちゃった」こんな信夫コーチの率直な人柄も、選手には魅力なのであろう。
 さて、一方の久美子コーチ。「まず(荒川)静香ちゃん、彼女のスケートは抜群に上手ですよ。わたしは世界一だと思っています」さすが、コーチ! この後、荒川選手は金メダルに輝くわけだが、「ただ、与える印象がまだまだ冷たい。(でも)笑えばいいというものではないんです。あの冷たさは冷たさとして、これからは、それを『凄み』に変えていくことを、私は彼女に求めたいなと思います」確かに、彼女には凛とした美しさがある。そしてトリノの大舞台では、その美しさの透明度がさらに増していた。その“凄み”に、会場全体が飲み込まれた結果が金メダルだったわけだ。
 最後にお二人は自分たちのことをこんな風に語っています。(久美子)「私たちが選手を作ってきたわけでもないんです。(中略)たまたま出会いがあって、今教えているだけだと思うんです。そこは勘違いしないでやってきたつもり」。(信夫)「そこを勘違いしていたら、きっとここまで来れなかったでしょうね」本書の中では平気でお互いの性格や考え方の違いを述べるお二人。でも、ここだけはしっかり一致しておりました。やっぱり、相当に「おもろい夫婦」なのであります。

(久米 秀作)

出版元:双葉社

(掲載日:2006-05-10)

タグ:コーチング フィギュアスケート 
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パワー革新
佐々木 正省  足利工業大学・健康科学研究室

絶対値の革新
 「パワー」という用語がもともと理工学用語であったことは周知の事実である。すなわち効率とか仕事率と言われたもので、「単位時間当たりの仕事」ないし「力×速度」と定義されるわけだが、この「パワー」という概念が今までにスポーツの分野に与えた影響は計りしれない。
 たとえば、このパワーを測定するという考え方はすでに1921年にサージェント.D.Aによって垂直跳びテストとして発表されたし、体力の古典的定義者として有名なキュアトン.T.Kも1947年には体力の一要素としてパワーの存在を認めている。その後も疾走中のパワーの研究や、自転車エルゴメーターのペダリング運動中のパワー、そして最大無酸素パワーテストとしてマルガリヤの階段駆け上がりテストなど、パワーの研究は盛んに行われているのだが、これらのほとんどは「身体効率(physicalefficiency)」を主なテーマとして進められたと言える。
 もちろん、こういった基礎的研究の重要性を軽視する意図は全くないが、単位時間当たり、ではなく絶対値としてのパワーの大きさがスポーツに与える影響を正面から見据えることも、ある意味大切なのではないか、と評者はひそかに思っていたのである。なぜなら成績を前提としてスポーツを考えた場合、パワーの絶対値が持つ意味は大きいからである。その点で、本書は絶対的なパワー値を高めるためにはどのような器材が有効か、どのような方法が有益かを平易に直接的に説いているわけで、パワートレーニングについて十分な知識を持たない高校生や中学生等にはとくに好書と言える。

パワーユニット
「パワー」に近似した言葉に「瞬発力」がある。どちらも似たような意味を持つので「パワーを高めたい」と「瞬発力を高めたい」という両者にあまり明確な違いを指摘することは難しいが、強いて言えば、前者は“力”を中心にパワーを捉えたと聞こえるし、後者は“スピード”に重点を置いてパワーを捉えたとも聞こえる。
 いずれにしても、筆者が言うように「パワーとは、身体の動力」である。したがって、この意味を我流で解釈すれば、どれほどの重量物をどれほどの速さで動かせるかがその人の絶対的パワー評価となる。「スポーツ選手におけるフォース(力)とは物体を持ち上げたり、移動したり、遠くに投げたりする身体の能力であります。(中略)押す力の能力などもその範疇に入ると思います」。この文章からも推察されるように、筆者は「パワー」というものは物体を素早く動かす力と定義して、そこに力点を置いてトレーニング方法を説いている。なかでも、今回パワー・トレーング器材として初めて筆者が開発した「パワーユニット」は、筆者の長年の研究と執念に裏打ちされた力作だ。パワーユニット器具の構造は、牽引物に取り付ける鎖と圧縮コイル・スピリングにワイヤーが付いており、そのワイヤーの先に人間の胴体に巻くベルトが付いている。このパワーユニットの心臓部は「圧縮コイル・スプリングス」で、この開発には、間違いなく筆者の英知と最大の努力が傾けられたのだろう。言葉ではなかなかイメージが出しにくいが、本書には図解入りで説明されているので、詳しいことは本書をお読み下さい。
 ついでと言っては失礼だが、筆者は「スーパーフットボール」というサッカーとアメリカンフットボールとラグビーのよい点を併せ持ったようなユニークなスポーツの創始者としても有名だ。地元足利市ではジュニアの育成に長年尽力されている。ユニークな指導者がつくった夢のパワーアップマシンを、ぜひ読者の方々にも一度試してもらいたいと思う。

(久米 秀作)

出版元:

(掲載日:2006-09-10)

タグ:陸上競技 
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著者
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キースリングステファン・メルモンスポーツGEARスポーツインキュベーションシステムスポーツセーフティジャパンスポーツ医・科学研究所スポーツ社会心理学研究会スポ-ツ医科学研究所タカ 大丸ダイヤグラム・グループダニエル・ジェイムズ・ブラウンダニエル・マードンチャモアペット・ハーパランチャーリー・ローティナ・シ-リグデイヴィッド シールズデイヴィッド・シールズデビ・ブラウンデータスタジアムトニ・ナダルトム・シーバートラヴィス・ソーチックトル・ゴタストレーニング科学研究会トーマス・W. マイヤーストーマス・タッコドナルド T. カーケンドールナイキ・ジャパンナディア・コマネチハンス-ウルリッヒ・ヘッカーバイロン・シューマンバド・ウィンターパトリシア・M・ホランドヒュー・ディールハンティービヨン・ボルグビル・ライトビート たけしピート・ウィリアムズフィリッピー・アダムフィル・ジャクソンフランク・ショーターフランク・ショーター フルコムフル・コムフレデリック ドラヴィエフレデリック・ドラヴィエブライアン コールブルース マキューアンブレット コントレラスブレット・コントレラスベント・ロンネスタッドベースボール・マガジン社ボブ・アンダーソンマイケル グンディルマイケル・グンディルマット ジャーヴィスマット リドレーマリオ 宮川マーク ペリマンマーク・バーステーゲンマーティー 松本メアリー・ボンドメディカル・フィットネス協会モリーズ・シューマンライフサポート協会ラエル・イサコウィッツランス アームストロングランナーズ女性ランニングセンターランナーズ編集部リチャード ブレナンリチャード・ブレナンリック・マクガイアリンダ・グラットンルーカ カイオーリレイナー・マートンレイン ティディクサーレッシュ・プロジェクトロコモチャレンジ!推進協議会ロゼット・マレスコッティロナルド・ニアマイヤロバート ムーアロビン・マッケンジーロブ パナリエッロローランド・レイゼンビーヴォルフラム・リントナーヴォルフラム・リントナー七木田 文彦七類 誠一郎三ツ井 慈之三上 太三上 賀代 三井 康浩三井 恵津子三井 悦子三好 春樹三宅 満三宅 義信三木 英之三条 健昌三栖 英揮三森 寧子三浦 孝仁三浦 於菟三浦 武三浦 知良三浦 雄一郎三澤 威士三田 佐代子三田 文英三砂 ちづる上原 善広上松 大輔 笠原 政志上田 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裕平子どものからだと心・連絡会議宇城 憲治宇津木 妙子安井 眞奈美安保 徹安倍 浩之安光 達雄安冨 歩安家 達也安斎 勇樹安松 幹展安田 昌玄安田 登安田 矩明安藤 創一安藤 礼二安藤 誉安藤 豪章安藤 邦彦安達 伸生安部 孝宮下 充正宮下 智宮下 桂治宮下充正宮崎 俊哉宮崎 俊太郎宮崎 尚子宮崎 恵理宮崎 義憲宮崎 隆司宮川 哲夫宮本 俊和宮本 恒靖宮本 恵理子宮本 祐介宮本 美沙子宮本 義己宮村 実晴宮村 淳宮畑 豊宮部 保範宮里 藍寄本 明寒川 恒夫寺平 義和寺本 寧則寺本 祐治寺田 佳代寺門塾門下生小倉 孝一小倉 孝誠小出 清一小出 義雄小坂 由佳小室 史恵小宮 良之小山 裕史小山 貴之小山 郁小山内 博小山田 良治小島 勝典小島 太小島 正義小嵐 正治小川 佳宏小川 公代小川 良樹小川 隆之小暮 満寿雄小松 征司小松 成美小松 猛小松 秀樹小松 美冬小林 一敏小林 信也小林 修平小林 充小林 只小林 平八小林 拓矢小林 敬和小林 直行小林 秀一小林 秀紹小林 章郎小林 篤史小林 義雄小林 至小柳 好生小柳 磨毅小栗 達也小森 貞子小池 弘人小清水 孝子小澤 一郎小澤 央小田 伸午小菅 達男小西 浩文小谷 さおり小谷 究小野 ひとみ小野 三嗣小野 俊哉小野 平小野 晃小野 秀二小野 純一小野寺 孝小野寺 孝一小錦 八十吉小関 潤子尾下 正伸尾久 守侑尾崎 隼朗尾張 正博尾県 貢尾縣 貢尾陰 由美子山下 なぎさ山下 佐知子山下 哲弘山下 敏彦山下 柚実山下 泰裕山下 貴士山中 伸弥山中 教子山中 毅山内 弘喜山内 武山内 潤一郎山口 光國山口 典孝山口 和幸山口 拓朗山口 政信山口 文子山口 翔大山口 英裕山口 遼山口 香山地 啓司山岡 淳一郎山岸 卓樹山岸 恒雄山崎 先也山崎 敦山崎 浩子山本 ケイイチ山本 光宏山本 利春山本 博山本 徳郎山本 敬三山本 昌山本 明山本 正嘉山本 正彦山本 浩山本 澄子山本 益博山本 美香山本 邦子山村 正英山次 俊介山添 光芳山田 ゆかり山田 保山田 和彦山田 昌彦山田 英司山田 茂山田 重雄山脇 あゆみ山西 哲郎山谷 拓志山際 哲夫岡内 優明岡出 美則岡崎 敏岡本 孝信岡本 裕一朗岡本 香織岡本 麻左子岡村 博貴岡村 浩嗣岡橋 優子岡田 圭子岡田 武史岡田 純一岡田 邦夫岡田 隆岡部 幸雄岡部 正岡野 五郎岡野 宏量岩崎 和久岩崎 夏海岩崎 晋也岩崎 由純岩本 紗由美岩本 輝雄岩渕 健輔岩田 健太郎岩田 卓士岩貞 吉寛岸 政彦岸本 健岸田 一隆岸田 昌章岸田 明子峠野 哲郎峯田 晋史郎峰岸 徹島田 一志島田 永和島田 潤一郎崔 仁和嵯峨野 功一嶋井 和世川井 弘子川初 清典川又 政治川口 和久川島 敏生川島 浩平川島 英博川本 竜史川村 卓川津 英夫川田 茂雄川端 理香川西 正志川谷 茂樹川野 哲英工藤 公康工藤 和俊工藤 隆一左 明市川 宣恭市川 忍市川 繁之市村 操一布施 努布施 務師岡 文男帯津 良一常足研究会干場 拓真平 直行平井 伯昌平井 博史平尾 剛平尾 誠二平山 譲平山 讓平山令明平島 雅也平松 洋子平沼 憲治平澤 元章平田 智秋平田 竹男平野 幸伸平野 淳平野 裕一平野 誠一広沢 成山広瀬 一郎広瀬 浩二郎広瀬 統一広瀬 統一 泉 重樹広田 公一廣戸 総一廣戸 聡一廣瀬 俊朗建内 宏重弘田 雄士張 明澄彦井 浩孝影山 徹征矢 英昭後藤 俊一後藤 修司後藤 光将後藤 勝正後藤 新弥後藤 正治徳永 幹雄徳永 明子志々田 文明志村 幸雄志賀 保夫快適スイミング研究会恒川 正志愛知医科大学運動療育センター戸塚 啓戸塚 洋二戸田 裕之手塚 一志手束 仁打越 正行折山 淑美政二 慶文部科学省斉藤 明義斉藤 健仁斉藤 宏斉藤 明義斉藤 秀之斉藤 隆央斎岡 明子斎藤 孝斎藤 恵斎藤 昭彦斎藤 瑞穂斎藤 環新 雅史新井 博新井 節男新宅 幸憲新田 收新開 省二新関 真人方波見 康雄日下 昌浩日向 やよい日向 涼子日暮 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書評者
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月刊トレーニング・ジャーナル(16)
月刊トレーニング・ジャーナル編集部(758)
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松本 圭祐(3)
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梅澤 恵利子(1)
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水田 陽(6)
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渡邊 秀幹(1)
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鈴木 健大(6)
長谷川 大輔(3)
長谷川 智憲(40)
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阿部 拓馬(1)
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青木 美帆(1)
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